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2005年


12/28

○新年のご挨拶(に免じて)

『バナナ(写真)好評につき続編を報告します』 
−収穫と熟させ方、お知らせします−

 先日、バナナの成長過程の写真報告を致しました。小生のHPとしては異例(?) の好評というか、いつ収穫するのですか、一房で何本ありますかなど、いろいろな質問がメールで寄せられました。
 また収穫の時の写真掲載のリクエストも、幾つかいただきました。 嬉しくもあり、一方では「まだ続く沖縄問題」のような深刻な記事はあまり関心を持たれないのかな(?) と少し考えさせられてもいます。 新年ですのでお許しいただいて、ご要望にもお応えし、お許しいただいて、楽しい記事、先日の続編としてバナナの収穫を、また美味にするための熟させ方をお見せしましょう。


 バナナは一本の木に一房しかならせませんので、まず幹から切り倒します(写真-1)。
 バナナの房が地面に落下しないように受け取ります(写真-2)が、余り大きい、重いと一人では支えきれないようですね(写真-3)。

 
写真-1 写真-2 写真-3

 あ〜あ、とうとう地面に落としてしまいました(写真-4)。
 今回は二本植えて、二房(写真-5、-6)収穫をしました(写真-7)、それを各段ごとに切り分けます(写真-8)。

写真-4 写真-5 写真-6

 次にこの切り分けたバナナの実(写真-9)を熟させる作業に入ります。
 泡盛(焼酎でも可)で湿らせた布か紙で、バナナ一本一本を拭きます(写真-10、11)。それを新聞紙に包み、ビニール袋に入れます(写真-12)。そうすると3、4日で緑から黄色の美味に成熟します。

写真-7 写真-8 写真-9

写真-10 写真-11 写真-12


  同時に熟しても(そんなに食べられませんから)困りますので、それぞれ食 べ頃になる日をずらして外に吊しておきます(写真-13)。そうすると長く美味 なバナナを楽しめます。 
写真-13


『沖縄の冬の代表的な風物詩』
−サトウキビの収穫と製糖工場操業−

 沖縄も新年になるとサトウキビの収穫と製糖工場が操業を始めます、沖縄の冬の代表的な風物詩です。
 収穫したサトウキビを運搬するトラックが製糖工場へ糖度(糖度×重量で買取額を決定します)を下げないうちにと、大急ぎで運びます。この時期ばかりはキビ運搬トラックの速度違反を警察も大目に見ているようです。また、大急ぎで積み込むせいか、道路にかなりのサトウキビをまき散らして走り回っています(写真-14)。自宅マンションの11階の南側の窓からキビ工場の白い煙が見えます(写真-15)。少し見えにくいので望遠で撮ったもの(写真-16)です。
 製糖工場の近くに行くと、しぼり終ったサトウキビを燃料として燃やしている煙が、なんとも甘い匂いがしています。工場の近くで、風の加減で煙を直接かぶると、歯が溶け出してしまいそうになるぐらいです。

写真-14 写真-15 写真-16

 製糖工場も、わが物顔で幾台も走り回っているこのサトウキビ運搬用のトラックも、さてあと何年続くのでしょうか。沖縄・奄美のサトウキビ農業の転換も、そろそろ本格的に議論をしなければならない時期になっています。


12/8

アドベント(待降節)に入りました。

先週からアドベント(待降節)に入りました。クリスマスももう少しです。まずはおめでとうございます。
 このところ新着情報、今なお続く「沖縄問題(米軍基地建設)」など少し重い課題、テーマでした。

 今回は楽しい、面白い、またこれから本格的にチャレンジしようとしているテーマを新着にしました。

<クリスマス・リース、研究室>


〈 沖縄、街かど情報 〉
− 沖縄らしい風景、グルメ・おもしろいお店の案内 −
 小生、あちこち歩き廻ったり、飲み廻っているので、特に本土から沖縄にこられている方から尋ねられます。どこかおいしいお店は、女性と一緒に飲みに行ける所、等々です。

 また少し切実なのは子供さんや御自分の体調が悪くなったとき、気軽にかかわれるホーム・ドクター(病院)などです。わからないので大病院などへ行くと、半日、下手をすると一日がかりになって、むしろ病気が悪化してしまいます。

 グルメ・ガイドなども計画していますが、まずは切実なところからご紹介します。

〈 真和志支所近く、大原病院推薦します 〉
− いつでも、ニコニコして診察してくれる元気なおじいちゃん(いや失礼)先生です −

 その場所、場所に必ずと言ってよいぐらい、親しめる下町(的)のお医者さんがいます。東京に住んでいた頃は、子どもの頃から掛かっていたお医者(自宅の小石川)さんがいました。また子供が出来てからは、深夜でも日曜日でも嫌がらずに気軽にみてもらえるお医者(東中野の落合)さんがいました。
 
 大原病院はあまり目立たず、気をつけていないと見過ごしてしまいます。しかし、雰囲気は丁度、前述した下町の病院のようで患者さん、とくに老人の方や小さな子供さんと護婦さんが顔見知りのようにとても親しげに病気の様子など話したりしています。看護婦さんの多いせいか患者さんをテキパキさばいて待たされても15分程度で診てもらえます。
 
<元気なおじいちゃん先生です>


      <下町の雰囲気>

 大原病院  那覇市寄宮3-12-12
       
         TEL 854-0211

 <診療科目> 

日曜祭日は休診日ですが、入院患者さんもおられますので、ケガの手 当てや看護士さんの緊急対応はしてもらえます。               
<あまり目立たない>


〈 この冬一番の寒さ、5日、奧(本島北部)では11.8度℃ 〉

今日(12/6)は那覇でも最低気温が14.7度℃と、この冬一番の冷え込みです。

サトウキビ(ウージ)の真っ白な穂が出ると沖縄も本格的な冬です。


 このような寒さは沖縄では珍しいです。私は今日ハーフコートを着て、大学へ出掛けました。
 沖縄で15度℃を割ると、人通りも車もぐんと減ります。またとくに一時間目の授業の出席学生が3分の2ぐらいになります。本当です。
 今日の夕刊には、きっと海水温が下がり、魚が浮いているという記事がでるのではないかと思います。でもこんな寒い季節でも(?)、バナナがなるし熟すんですね。不思議です。次をお読み下さい。

〈 バナナの実は寒い冬に完熟する 〉
− 私が説教に集中できない訳? −

 教会の説教を聴いていて、どうも気(いや木)になるのは窓越しに植えられているバナナです。週毎にぐんぐんバナナの実が大きく、たわわになり、熟してきています。こんなに大きくなった実を細い枝で支えられるから不思議です。

 平良夏芽牧師も、どうもことことに最近気づいたようで、先日も「博也さん、バナナのことは後にして今は私の説教に集中して下さい」と注意されたところです。

 本土の方はバナナに花が咲き(フィリピンで食べたことがありますが、この花をサラダにすると美味ですよ)、そして実が、だんだん大きくなり、完熟していく過程をあまり見たことがないと思います。皆さんにこれをお見せしたいと思い、この半年間、写真を撮り続けてみました。この教会のバナナの成長を紹介致します。ご覧ください。

<教会の窓越しに見えるバナナの木>

8月22日 8月28日 9月13日 9月18日
9月25日 10月2日 10月9日 10月23日


 クリスマスには、みんなで食べようと楽しみにしています。うふざと教会のクリスマス会に出席すると、完熟バナナが食べられますよ(クリスマス会についてはうふざと教会ホームページ【http://church.jp/ufuzato/】を参照)。 
 また、時々、街かどに果物屋さんでも八百屋さんでもないお店でバナナの実を売っています。ここでは写真のように美容院(床屋さん?)ですが、自家製(きっと裏庭に植えているバナナ)のバナナを店先で売っています。

 バナナに限らず、こういう風景は沖縄では時々、目にします。なんとも沖縄らしいというか、おおらかでよいですね。
 さて、皆さんはバナナ一房に、何本のバナナが実っているかご存知ですか。答えは次回におおしえします。お楽しみに。
11月27日 12月11日

         
          <店先に県産バナナが売っています>              <ここは実は美容院です>


〈 新沖縄学の体系化にチャレンジします 〉

 「新沖縄学」って何、新が付く前の「沖縄学」って何、と思われる方も多いと思います。何かと不思議と思われる方は、12月17日(土)午後1時半から、法政大学・沖縄文化研究所(法政大学:市ヶ谷校舎・ボアソナードタワー21階)で、小生が「新沖縄学序論」を報告させていただきますのでお越し下さい。 
 詳しくは、こちらをご覧下さい。


11/21

11/18、『インターネットで開業・独立成功への道』野田アンテナ講座(注・1)、第3回目開催。福岡『開業準備講座』好評につき、来年、夏期・集中・夜間・公開講座を予定、皆様、ご期待ください。

毎月、第3金曜日「インターネットで開業・独立成功への道」(別名、まぐまぐ野田講座)、今月は福岡幸一講師による特別講義「開業準備講座」を加えて18日(’05.11)、午後6時半−9時、それに交流パーティー、9時−10時半を開催しました。

 お二人の講義、改めてお聞きして、これからの沖縄でビジネスをする人、したい人、現在のビジネスをさらに成功させたい人にとって必須の内容ではないかと思います。アンケート、また掲示板でも本講座、好評です。

<野田講座の内容とポイント>

 野田さんの内容を一言で紹介すれば、沖縄に多くあるニッチ商品、また今、沖縄で話題になっている健康食品等をインターネットによって沖縄の本土から遠隔、離島というマイナス条件を払拭する販売戦略です。そしてリアル・ビジネスとeビジネスの共通点、相違を踏まえて、特にインターネットの特色を沖縄でどのように発揮させることが重要かが本講座でのポイントです。

 また今、勝組といわれるインターネット・ビジネス・モデルのポイントを解りやすく解説し、その沖縄での可能性ということになります。

(注・1)アンテナ講座とはアンテナ・ショップをもじったもので、実験講座でかつ顧客、すなわち受講生からの情報、注文をフィード・バックする講座で小生の造語です。こんなことが勝手に出来るのは、沖大ならではの小規模大学で、フットワーク良いから出来るのかも知れません。

<福岡講義の内容とポイント>

 福岡さんの講義をもう少し前に聞いておけば、今、ビジネスで一時ストップしている興徳開発(陸砂開発)、レキオス航空(沖縄県民による航空会社)もどうにかなったのではないか、と(思われる程実用的な)授業でした。ビジネス・モデル(如何にして利益、キャッシュ・フローを得るか)を中心に
して人・物・金・情報を如何に配分し、オペレーションするかというもので、非常に解りやすく、ポイントを絞ったもので、かつご自分のビジネス経験からのもので説得力のあるものでした。

      


<来年の夏期(’068月)集中講義を予定>

 このようなことで来年の夏期集中、公開夜間講義でお願いをし、2講座の実施、開設準備をします。8月の夏休みを使ってそれぞれ、5日間ずつ集中で夜間(午後6時−10時半)の予定です。
 夜間で集中、さらに夏休みであれば、学生さんも社会人も多くの方々が参加しやすくなります。また連続講義ですと、繰り返し(これも場合によっては、重要なのですが)の部分をしなくても済むので効率的です。

 そして希望者には講座修了後も、両講師が月1回程は来沖されますので(いや、してもらいますので)、これを活用して、例えばビジネス・プラン、起業プランについてコメント、フォローアップをしていただこうと思っています。


 しかし小生も経験がありますが、この集中講義は受講生にとっては便利なのですが、講師にとっては大変な負担になります。週1回の講義であれば毎週少しずつ準備すればよいのですが、集中ですと前もって、すべて準備しておかなければなりませんので大変です。また毎日、5時間近くを5日間、連続して話し続けなければなりません。小生など最終日に声が出なくなった経験があります。


<両講師には無報酬、かつ旅費・宿泊費は自腹でお願いします>

 しかしわが沖縄大学には新しい講座を開設する費用などとても期待できません。今、開設しているアンテナ講座(まぐまぐ野田講座)、福岡特別講義もそうですが、次回も両講師には無報酬でかつ東京からの旅費・宿泊費も自腹でという大変心苦しいお願いをしなければなりません。

 またこの両講師受け入れの準備、運営にもかなりの費用が掛かります。これは日本ベンチャー学会の清成先生にお願いし、またお世話等の実務は同学会沖縄研究部会(琉大・福井先生が世話人)と吉川研究室の仲宗根さん、前盛さんにお世話になることになります。誠に心苦しいことばかりで申し訳なく思っています。


<交流パーティー、とても楽しく有意義でした>

 今回の講座参加者同士の交流パーティー、いつもは研究室となりのテラスですが、初めての試みとしてグリーン・カフェ(学食)を使わせていただきました。なかなかしゃれたオードブルがでて、皆でビールを飲みなが
ら楽しく過ごしました。
 参加者同士の名刺の交換や、今後のビジネス計画、両講師への質問などとても活発な有意義な時間でした

今回の連続講座の世話人の、いつもは大人しい無口()な琉大・福井先生も盛り上がっていました。

   


<さらに民謡酒場にも行きました>

 パーティー終了後、福岡講師のグループは、さらに夜の12時から宜野湾でビーチパーティーがあるというので、それに直行されました。野田講師とは、まだ行ったことがない(6年近く、年120日も沖縄にかよっているのに)ということで、民謡酒場のナークニー(宮古根)にお誘いしました。
 野田講師、美女を隣にしてカチャーシーで、ご機嫌に盛り上がっていました。帰宅は午前2時過ぎと久しぶりに午前様をしました。


 民謡酒場がこんなに珍しがられ、喜ばれるのなら、次回は福岡講師もお誘いしようと思っています。ナークニー、(上原正吉民謡劇場)のマネージャー(正吉氏の奥様の)上原美佐子さんは、実は沖縄大学の社会人学生卒業生です。そんなこともあって、特に外国の方が見えたときよく案内させてもらっています。
 上原正吉さんの「本部ナークニー」はさすがです。また美佐子さんの「ヒヤミカチ節」も元気で正吉氏の連弾きもあり、見せ場を作り、場を盛り上げています。


     



<誤解のないように、パーティー 一銭もどこからももらっていません>

他の講座でのパーティーの時も、質問をよく受けます。パーティー無料ですが、どこかスポンサーがついているのですか。大学から援助があるのですか。今回のパーティーでも質問がありました。
 スポンサーもついていませんし、大学から援助も一銭も、もらっていません。誤解のありませんように。
 
 講師の方々は、本土から無報酬、それも旅費自腹で来られているわけですから、授業終了後、夕食、そして一杯ぐらいのサービスはさせえていただかないと申し訳ありません。そこで講師の方々にその分(費用)を使って受講生との交流パーティーをさせていただけませんかという提案をさせていただいております。

 交流パーティーをすると、受講生の方にも喜ばれますし、講師の方々も受講生の講義への反応もわかります。また時には、講師の方とのビジネスにも発展したケースもあります。
 今回もそうさせていただきました。ここでタネを明かしますと、実はその方がだいたい安くつきます(失礼)。またパーティーですと、小生も12時までには帰宅できます。歳を取ると午前様になると翌日、きついので私自身大変助かます。

 他の先生方にも、この方法をお勧めします(小生の講座運営ノウハウの一つと思っています)。ただし、車社会の沖縄では、アルコールの問題があります。今回はビールを提供しましたが、最近はノンアルコール・ビールですることが多くなりました。この点御注意下さい。

<注目される各大学起業希望学生のグループ>

今回の受講生は100名近くになっていました。その中で注目していいのは、琉大と沖国大で起業(ベンチャー)希望の学生が、グループ(3〜4名の)作って参加していることです。沖大生にも働きかけてグループ化を促進します。このようなグループを言い方が悪いのですが、1本釣りして、まずパイオニアとして育てることです。そして、各大学の起業塾、アントレプナーシップの講座など具体的な動きを進めることが重要だと思います。

また、27日(日)、推薦入試(沖縄大学)の面接をしたのですがライブ・ドア(ホリエモン)、楽天(三木谷)効果でしょうか。かなりの受験生がベンチャーをしたい、起業をしたいというのを聞いて、本当のところ驚きました。テレビ、新聞などの影響の大きさを改めて認識しました。一時的なブーム、ムードで終らなければ良いのですが。



11/17

○《 滝本参事官提案「今後の沖縄産業振興(案)」ぜひ、お読み下さい
 先日、沖縄政策担当の滝本参事官が研究室に見えられ「(案)今後の沖縄産業振興」(pdf)についてディスカッションしました。
 
 正直に言って少しどうかなと思う所や、これは実現性はないのでは、というところもあります。しかし最近になく(失礼)希望の持てる、具体的な、そして実現化施策をもって政策提案です。小生は高く買います。

 
 皆さんにもぜひご紹介したいので、滝本さんの御了解をもらって掲載させて頂きました。ぜひ沖縄産業振興に関心のある方はお読み下さい。

 これに対する小生のコメントは後日にしたいと思います。
 また皆さんも、滝本さんに賛否、コメント、さらなる提案などぜひ差し上げて下さい。

1次、2次、沖縄振興計画失敗の弁
 取りあえず後日のコメントのバック・グラウンドとして、第1次振興計画後期から、第2次振興計画まで専門委員として沖縄振興計画に関わった者として、反省の弁をまず記してみました。
 
 言い訳をすればいろいろあるかもしれませんが、私は率直に言って1、2,3次振興計画は計画自身が失敗した、誤っていたと思っています。それは沖縄の経済振興は観光を除いては、思ったように成長しませんでした。現に失業率、県民一人当り所得全国比、経済自立度のどれを取っても計画通りには改善されていません。この事実を見れば、失敗だったと言わざるを得ません。

 
 その理由を私なりに、一口で言えば日本本土(追従)型経済振興モデルだということです。

 地理的に離島で日本本土から孤立し一国的であるが、しかし130万人と小規模で、歴史的には産業、特に製造業集積(経験)がないという条件にも関わらず、日本本土の経済成長パターンと同じ(追従)計画論を採用、踏襲したことです。
 
 むしろ台湾、香港、シンガポールの経済成長パターンを見本にした方が、今になれば近似性、参考になったように思われます。小生も多系的発展パターンの必要性などと言いながら、自分の生まれた土地と時代の経験からそう自由になれないのですね。これから他の国の経済協力をするときなど、肝に銘ずる必要があります(これは自分に対して言っている事です。)

以下、これは私自身の沖縄振興計画に対する反省、失敗の弁です。

日本経済の背景と沖縄振興〉〈復帰30年、沖縄産業政策の総括産業政策の失敗
  以上3件のppt.資料は1つのpdfファイルになっています。

また、「沖縄(地域)振興の原点と総説」もご覧いただければ幸いです。



11/11

○株式会社ネクスト沖縄セミナー開催
  特別連続講演会『インターネットで独立・開業成功への道』の第3回目を来週金曜日(18日)に開催します。今回は追加講義として、潟lクストの福岡幸一代表による1時間の講義もあります(18:30-19:30)。
 その前後にも宜野湾ベイサイド情報センターでセミナーを開催されるとのことです。詳細は同社HPをご覧ください。
http://www.next-consulting.co.jp/index2.html


11/8

○今なお続く「沖縄問題」
 さる1029日、日米両政府による米軍基地のキャンプ・シュワブ(辺野古)沿岸の合意案が発表されました。今なお「沖縄問題」が続いているという感を強くしました。
 沖縄生活10年を総括して、新沖縄学の体系化・序論(問題解決学としてのアプローチ)を書いていますが、歴史的なアプローチは小生、弱く、今回の件を包括できるようレギュラシオン理論などの検討をしています。以下のメモ、お読みいただきコメントいただければ幸いです。

〈沖縄を犠牲にした日米政府による米軍基地の提案

−未だに続く沖縄問題−


核兵器に殺されるよりも、
核兵器に反対して殺されるほうを、
わたしは選ぶ。
                                                          宇都宮徳馬



 今回の1029(‘05)、日米両政府(安全保障協議委員会で両政府の外務・防衛の閣僚2プラス2)により、普天間飛行場の名護市のキャンプ・シュワブ沿岸部への移設案が安保、日米同盟を維持するために沖縄を犠牲にする形で地元の頭越しに合意された。ここに見られるように「沖縄問題」とは、日本が近現代国際社会の中で列強、欧米先進国の一員となり得た、あるいはなろうとするための代償、犠牲ではなかろうか。「沖縄問題」とは沖縄が幾重にも抱え込まされたものであり、まさに、現在進行形の問題である。このように「沖縄問題」の理解には、問題形成の歴史を追及する作業を不可欠とする。
 今回の「基地問題」を通して、沖縄の今を考えるうえで「琉球処分」と「同化政策」の歴史に問う必要があると強く感じた。このことは、ときに沖縄の人々から聞くことはあったが、'95年から沖縄に移り住んで10年を経て初めて実感したことである。

「沖縄問題」形成の歴史
 このようなことを突然言っても、日本本土の方々はかなり戸惑うであろう。少しく、説明してみたい。
 20世紀の沖縄の「運命」を決定したのは、1879年(明治12年)の「琉球処分」、そして1944年「日本軍」と1945年「米軍」による二つの沖縄占領である。
 この「琉球処分」とは、日本がいわゆる欧米型の近代国家を成立させるために、必要な作業の一環として行われたものである。すなわち明治政府は王国を武力で解体し、中央集権的な天皇制国家の元に琉球を組み込んだ。
 そして「日本化・皇民化」と「文明化・近代化」の政策によって琉球の統治を進めた(鹿野政直)。他の日本地域に比べて、強力に国語(言語)を中心とした「皇民化」が進められた。学校教育のみならず琉球固有の言語、姓名、風俗を劣ったものとし否定され、大日本帝国臣民として同化させられた。沖縄の人々はこのような偏見、差別から開放されんがために、日本の政策や「日本人」たるべき規範を進んで受け入れた。このような沖縄政策は以降の日本の植民地政策の雛形になったとも指摘されている(今泉裕美子)。

日本のアジアに対する国際社会(植民地的)意識の形成
 残念ながら、現在もわれわれの心の底にあるアジアに対する国際社会(植民地的)意識は日清戦争と台湾領有、そして第一次大戦と南洋群島支配によって形成され、さらにこの過程を通して「東洋の盟主」のような自己意識が醸造された(今泉裕美子)。そしてこの日本の国際社会意識と南方への勢力圏拡大の先兵として沖縄が位置付けられ巻き込まれたが、沖縄の「運命」をさらに明確に方向付けることとなった。
 日清戦争での日本の勝利によって、第一度目の日本の南方への勢力拡大のチャンスが訪れた。日本政府はこの勝利を機会に、これ以降、日本を「東洋の盟主」とすべく近代国際関係の東アジアへの導入役を任じて行動することとなる。具体的には台湾を華南、東南アジアへの「南進」の拠点として位置づけ、沖縄は台湾と連動すべく役割を担わされた。台湾の植民地化には多くの沖縄出身者が教員や警察官として送り込まれた(又吉盛清)。
 また、この日清戦争後、日本人一般に中国への蔑視感が強まり、これまで沖縄と中国との関係(親国、中国)の中で、沖縄はますます差別的な視点にさらされることになった。
 日本に訪れた二度目の南方への勢力拡大の機会は、第一次大戦で日本が戦勝国となり、南洋群島の軍事占領から引き続き委任統治を受けたことであった。
 日本は勢力圏拡大と経済発展の機会を得、初めて欧米列強の一員たる「一等国」たる地位を得たとの自己認識を強めた。そして南洋群島は台湾に次ぐ、いま一つの「南進」の拠点として位置づけられた。
 南洋群島委任統治では、文明国たる日本を国際社会にアピールするために現地住民の文明化の範となるべく、在住日本人の役割が重視された。この南洋群島に、在住日本人の人口の6割、現地住民人口を超える沖縄の人々が移住する。
 大東亜新秩序の掛け声とともに、南洋群島の日本人は南方を開拓し、当地の「土人」を強化すべく、さらに沖縄の人々にはより一層、大日本帝国臣民たる意識強化、生活様式の改善が求められた。沖縄の人々にとって、これに応じることが「一等国民」たる地位上昇する道となった。

繰り返し裏切られた「同化政策」への努力、従順
 この沖縄の日本による「同化政策」「皇民化政策」への努力、従順が繰り返し裏切られたのが、近代以降の日本と沖縄との関係である。
 すなわち第二次大戦で、南洋群島が本土防衛のための最初の「捨石」となり、地上戦や飢餓によって大量の民間人、多くの沖縄の人々を犠牲にした。
 これに続き第二の「捨石」となったのが沖縄であった。このように第二次大戦後は荒廃した沖縄でマイナスからの出発を余儀なくされた。また旧植民地同様、日本から切り離された沖縄では、米軍のブルドーザーと銃剣による27年間の強権政治の下で基地の拡大と基地依存型経済構造の形成が行われた。
 このような米軍政府の下で基地の返還、また各種権利の獲得のための闘争が繰り返された。
 さらに、米軍政府からの解放を求めて実現させた日本への「復帰」後も、なお日本の米軍基地の75%が沖縄に集中している。そして’95年の米軍少女乱暴事件にみられるような基地をめぐる様々な被害が繰り返されています。
 また、米軍用地特別措置法の改悪(’97年)に見られるような法制度上の権利剥奪すら行われている。今回もキャンプ・シュワブ沿岸部の建設が住民によって困難な時に備えて、’97年改悪と同様の国による強制を可能とする公有水面法の特別措置法の検討もされていると聞く。日本政府の同様な繰り返し、例えば「靖国」問題など旧植民地、朝鮮半島、台湾、また侵略した中国に対して行われている。なんと日本は歴史的経緯、反省を踏まえた相手方を思いやり、抜本的な対応ができないのであろうか。


日米安保体制と国内政治プロセスの矛盾を沖縄の犠牲で ‘05.11.23(追加)

 国内の政治プロセスと国際的な政治プロセスをいかに調和、調整させていくか、という問題がある。
 これまでは日米安保体制が、当面、日本にとって有利に作用してきた、すなわち便利で沖縄を経済的犠牲にすることで済ませてこられたということがある。

 本来、日本政府が日米安保体制で(日本)国民に対して一番といってもよい基本問題、解決しなければならない、課題化する(べき)はずは、国内の政治プロセスと国際的な政治プロセスをいかに調和させていくかという問題なのである。このことは最近の隣の韓国の米軍に対する動きを見ても良く理解できるであろう。

 それを日本本土には経済的負担(直接的な軍事費のほかに見返りとしての沖縄の振興コストも含めて)のみで済ませ、そして一方基地の直接的犠牲を沖縄に限定することによって、いわば国内の政治プロセス他をさせないことによって解決を図ってきたし、さらに図ろうとしているのである。

 沖縄は日本の人口のわずか100分の1、しかも日本本土から隔離されているので、政治プロセス化にしにくい。したとしても、現在の民主主義制度からすると大きな力にはなり得ない。日本政府はこのことを十分意識、意図しているから、今回も何が何でも米軍基地建設を進めてくるであろう。

現に那覇に住んでいる私たちにはわずか4050km先の沖縄本島中部の普天間、嘉手納基地ですら、爆音などの直接の被害がないので、そう切実には問題が実感できない。

 国内のプロセスと国際的なプロセスは矛盾しがちである。そこで私が関連する分野での外交問題で例を挙げて説明してみたい。

 たとえば、ウルグアイ・ラウンドのコメ問題が示しているように、これを今すぐ(解決すべき)問題とすると、非常に難しい調整問題である。そこでは単に国際的プロセスに合わせるために、国内で犠牲者を出すというような形で問題が処理できるはずがない。

沖縄米軍基地建設に対して日本の政府は金銭、振興による犠牲の問題調整として対応している。このことは、まさに対応すべきが国内の政治プロセスでなければならないはずで、我々自身が日本国内全体で国民的コンセンサスを形成しなければならない。そのプロセスとなるべき国内の政治プロセスが、取りあえず「沖縄の犠牲」によって、棚上げにして先送りしようとしている。

安全保障、日米安保体制について根本的、日本本土政府がこのことをあくまで避けるのであるなら、沖縄側から積極的にかつ、県民全部で島ぐるみ基地反対闘争をすることによって可能としたい。この戦略、秘策、いや理論化について、また近々、述べてみたい。


軍事から社会的・多角的安全保障  05.11.16(追加)

今、沖縄の米軍基地の移転、建設がわが国の国政上の大きな課題となっている。その後の問題はあるが、フィリピンのクラーク、スービック基地の撤退の例をみても明らかなように、基地住民の支援が得られなければ、基地の機能を果すことは不可能である。それこそ沖縄県民が一致団結して反対すれば基地撤去は可能であるし、そうしようではありませんか。
 沖縄で、全国各地で芸群基地受入れが現実的に不可能なことを米政府に理解、説得する。そしてこれを契機に、日米安全保障条約を軍事同盟とは異なるものに換えていくという発想を、まともに真剣に考える時期になっているのではないか。
 それは軍事的安全保障から総合、多角的安全保障の概念のもとに、まず現在の米軍基地を海外への協力・支援センター化する。そして演習場、射撃場などの削減、また空港、湾港の支援基地化である。
 冷戦構造が崩壊し、国家間の緊張緩和の中で、今後、大きな課題となるのは国家間の武力問題より、むしろ各国に内在している貧困、犯罪、失業、食料危機問題であり、少し違う要素もあるが国際テロもこの典型である。
 前述の問題も経済と同様、ボーダレス、グローバル化して、それぞれの国で処理しきれず国際化、それこそ輸出されてくる可能性が大きい。これからは国外の問題も国内の問題として位置付け直す作業、政策がどうしても必要になってくる。特に近接する国々を支援し、それぞれの国が経済的にも、社会的にも安定することが、直接わが国自身の保証に結びつく。鳥インフルエンザに対する対応などは、上手にいっている例ではなかろうか。
これからの国際社会にあっては共通の目的、目標、例えば飢餓、テロ、武器流出、貧困、犯罪の撲滅を掲げてネットワークを幾重にも積み重ねる中で、グローバルな連携のもとで解決し、平和と繁栄の構図をひとつひとつ創り上げていくことが必要である。

○沖縄振興の原点と総説
 最近、小生が書いているものはほとんどがベンチャー論、沖縄新産業論のような甚だ実用的で、しかも「今」の課題です。今何故、このような提案、主張をしているかの小生の原点みたいなものも、特に若い方に知っていただければと思い、古い論文ですが掲載させていただきました。
 今のところ〈1〉、〈3〉のみですが、近々〈2〉も掲載します。

「沖縄(地域)振興の原点と総説」の〈1〉、〈3〉

○久しぶりに(?)飲み過ぎました。楽しい話も紹介します。
 去る(沖縄の人は「去った」と言いますが)1023日、中学時代からの蝶仲間の磯貝氏が、沖縄のボーイスカウト50周年の記念事業があって来沖し、久しぶりに飲み過ぎ(かなり)ました。
 まず外で43度の泡盛を中ビンで2本(下の写真、左)、そして自宅でワインを1本(同、右)という具合です(なお彼が丸坊主なのは実は僧侶だからなのです)。


 彼とは中学時代からの蝶の採集仲間で、それこそ全国を一緒に旅行しました。実は私は一時(高山)蝶の亜種の分類を専門にしようかと思い、大学もその方面に進もうかと思っていたぐらい凝っていました。
 この日は一日空けて、まず市内某所(秘密です!ご希望の方にはこっそりお教えしても良いです)にツマベニチョウ、オオゴマダライシガキチョウ、リュウキュウアサギマダラ、リュウキュウミスジ、等々を見に案内しました。写真を撮りましたが、とうとう我慢できなくなり、ついにツマベニチョウを一頭取り、記念に持って帰ってもらいました。ツマベニチョウと記念写真(?)を撮りましたが、動きが素早くなかなかいい写真(みんな手ブレでした)が撮れず掲載できないのが残念ですが、翅先の紅がきれいでした。

 たまたま先月、写真が出てきたのですが、日本鱗翅学会設立(?)の際の写真ではないかと思います。磯貝氏も私も確か大学一年生か浪人中ではなかったかと思います。場所も年度も不明です。しかし須田(孫七氏の方です)氏や白水(しろうず)先生が大分お若いので、40年以上前だと思います。

06.1/10追加

○年末に磯貝氏が今回の採集品を展翅しているからといって、写真を送ってきました。下記写真の真ん中の列の一番上がツマベニチョウのオス、そして一つ(シロオビアゲハ)置いてツマベニチョウの雌です。

10/27

〇米国の民主主義の本質見たり

 今朝の新聞に出ていますが、本土政府の一方的な辺野古の米軍基地の新提案(決定)について、一度、改めてこのHPで問題点など書こうと思っています。
 米国の(そして日本も)民主主義は自国のそれもマジョリティーのものだけであって、自国外のイラクも沖縄(日本)に対しても、また緊急時(ハリケーンの時)は自国民であってマイノリティーには適用されないという甚だ自分勝手なものです。米国、そして日本政府(小泉首相)の本質を見たというところですね。
 むしろ本質を見せたので戦いやすいし、全国の皆様、特に若い皆さん、基地建設が再開されたら結集しましょう。いろいろお世話をさせていただきます。私がお世話できる拠点の連絡先を以下に記します。ご連絡いただければ伝道所を通じて現地(ヘリ基地協議会)へ連絡いたします。

   うふざと伝道所HP

 また、もし仮に決定しても、今回も皆で体を張ってでも必ず阻止します。私は秘策も考慮中です。


   沖縄タイムス 10月27日(木)朝刊より   http://www.okinawatimes.co.jp/day/200510271300_01.html
   琉球新報       〃            http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-7891-storytopic-3.html


10/21

○特別連続講演会『インターネットで独立・開業成功への道』の2回目開催

 9月より来年3まで、第3金曜日の夜間
「インターネットで独立・開業成功への道」を開催しています。1021日、第2回目を開催しましたが、写真のように多くの方々が参加されました。日常の仕事を終えられて、熱心に聴講される姿を見ると本当に頭が下がります。

 参加者のアンケートを整理したところ起業希望者が多く、野田講座にさらに、例えば「開業・開店準備」講座などを追加講義に加えることにしました。

 先ず第3回目(1118日)の講座の前の1時間(午後6時半〜7時半)、起業設立専門の潟lクスト代表・福岡幸一氏による講義もあります。
 また今回その準備も兼ねて福岡さんのグループが来沖されていて、急遽、()ネクスト主催の幾つかのセミナーを開催されます。

10/19

10月15日(土)、16日(日)

『日本ベンチャー学会、第8回全国大会、出席』 

昨年は学部長をしていた関係で直前に用事が出来、出席できませんでした。今回は無事出席することができました。統一テーマは「大学発ベンチャーの光と影」で早稲田大学国際会議場において15日、16日に開催されました。

実家からバスで15分という近さで、会場の早稲田に開始の1時間も前に着き、学内を散歩しました。キンモクセイの花の香りがして、東京はもう秋でした。
沖縄大学と異なり大きなキャンパス、数多くの校舎など久しぶりにいかにも大学に来たという感じがしました。

 また「沖縄ベンチャー研究部会」の報告(報告者は沖縄企業家ネットワーク・代表、北嶋さん、また世話人の琉球大学・福井先生)をしました。さて、いろいろな興味のある、刺激的ないくつかの発表がありました。その中で大きなショックを受け、さっそく大学(ゼミ)で取入れようと思った発表がありました。その取り組みは中学・高校の起業家教育ですが、これを次に御紹介します。

大学1年生で実施すると、それ以降の学習のモチベーションになるのでは()と強く思いました。

《 中・高の起業家教育 》

岡山県立岡山東商業高等高校 商業科の試みを紹介。

 商業科目「課題研究」の「アントレプナー講座」で社長選任 → 会社起業 → 商品開発 → 商品生産 → 商品販売 → 事業報告会の会社経営一連の流れを4月〜12月の9カ月で実施した。製造部長・営業部長を中心にわずかな資本金(10万円)でデザイン(創り出し)、商品化させ、」販売を目的に正式な会社登記はしていないが、会社設立に必要な書類を作成し、4月末に模擬株式会社を設立しスタート。インターナネットや会社訪問で調べた健康志向の高まり顧客を絞り込む必要性などを協議した。また時にはメンターから意見を聞くなどして、既存の飴菓子、キャンディーを参考にオリジナル飴菓子を開発、販売した。販売先は地元商店会連合会とタイアップしイベント販売に挑戦し、商店街の活性化を試みた。

さっそく私も勉強して来年から1年生の「問題発見ゼミ」で実施してみようと思っています。いろいろな動機付けをするより、会社を作ってビジネスをさせてみる。そうすると何故、大学で経営を勉強しなければならないのか。自分にとってどのような経営学の勉強が今後、必要なのかという、実感のある「カスタム・メード」のカリキュラムを組むことが出来るようになると思います。

《 情報を御提供ください、一緒にやってみませんか》

中・高の商学科のカリキュラム等について、これまであまり興味を持っていなかったので情報を持っていません。この方面にお詳しい方、情報を御提供頂ければ幸いです。よろしくお願いします。
 また、おもしろそうだから、授業やゼミに取入れようという方がおられたら一緒にやってみませんか。御連絡下さい。

10月14日(金)

新宿野村ビルで『沖縄だからメジャーに勝てるビジネス・モデル〜沖縄に訪れた100年に一度のチャンス〜』を10月14日(金)午後1時〜3時に講演しました。
 講演の様子や詳細は()ネクストのホームページをご覧ください。またその開催の趣旨については、沖縄タイムスの15日(土)の朝刊にまとめられています。

《 会場で35年?ぶりに石塚さんとお会いしました》

この講演を東京存在の知人の方々へ、メールでお知らせをしました。また小生のホームページにも掲載しました。

会場で石塚さんとお会いしました。石塚とは35年前に一ツ橋、商学部の宮川研究室で1年間、御一緒しました。その後、1、2度はお会いしたことはありますが、本格的にお会いするのは30年ぶりぐらいです。
 ホームページやメールで連絡すると、本当にいろいろな方とお会いでき、驚きました。

《 沖縄(地域)振興の原点 》

 最近、私の講演の内容はベンチャー、起業論です。この原点となっている沖縄(地域)振興のそもそも論、自立論、計画論を若い方に理論、お読みいただければ幸いかと思います。私はこれを踏まえて沖縄ベンチャー論を展開しています。

ということで私の主張(沖縄の振興・総論編)に追加しました。


9/21

○9月16日(金)

今、沖縄のビジネス・ニーズはどこにあるか
 −メール・マーケティングの重要性−

ベンチャー公開講座連続講座『インターネットで独立・開業成功への道』がスタートしました。この募集の過程、PRチャネル
選択の必要性を通して、今、沖縄のビジネス・ニーズはどこにあるか、そしてメール・マーケティングの重要性について第1報を報告したいと思います。

<当初の応募者、わずか15名>
 915日(午後730分−9時)、同連続講座がスタートし、参加者が70名以上になり、実はホッとしたところです。
 本講座の募集ではちょっとショックというか、学ばせてもらいました。

 ベンチャー公開講座は1996年よりスタートしていますが、参加者の募集の方法は、いろいろな試みをしました。その結果、56年前から恒例となっているのが日本経済新聞へのチラシの折込によるPRです。これは私が考案したもので、コスト・パフォーマンスは他の方法と比較してかなりよい値です。

 最近では6月に開催したサイバーファームの半田貞治郎社長の『沖縄振興のグランド・デザインと自立戦略 −新流通ビジネス、新観光サービス、沖縄パイロット事業−』、7月はジャスダックの藤野三紀雄東アジア主席代表の『ベンチャー企業の株式上場とナスダック株式市場−沖縄企業・株式公開の勧め−』、いずれも好評で多くの参加者を得ました。両者と日経折込みによるPRで、このところベンチャー公開講座の募集は、この方法に頼り切っていました。そこで今回も本島内6000部の日経新聞の折込を行い、参加者の募集活動については安心していました。

潟Tイバーファーム、半田貞次郎社長講演会 ナスダック、藤野三紀雄東アジア主席代表講演会

ところがです、8月下旬になってもあまり反応がなく、参加人数が15、6名です。これでは全面的なご好意、ボランタリーで本講座にご協力いただく鰍ワぐまぐの野田事業開発室長、大川社長に申し訳ありません。少なくとも3〜40人の参加者を集めなければと、ショックというか慌てました。

<私が必要と感じるテーマは、沖縄の多くの人々も?>
 テーマ『インターネットで独立・開業成功への道 −沖縄物産販売のウェブサイトの入門から立上げまで−』は内容、ネーミングなど野田講師ともかなり相談し決めました。これは今の沖縄において十分魅力的で、多くの応募者があると確信していました。私が必要と感じているテーマは、必ず沖縄の多くの人々が同様に必要性と魅力を感じるはずなのです。

 というのは、これまでベンチャー公開講座を続けてきましたが、そのテーマ、内容は私自身がこれから学びたいこと、学ばねばならないことを取り上げました。そうすると必ず多くの人々の参加も得られました。
 たまには外れたこともあります。4、5年前に『株式公開入門』講座を開催したときは、6名の参加者しかありませんでした。今ならかなり参加者があると思いますが、これはテーマが少し早過ぎたようです。
 私が必要と感じるテーマと多くの人々との感覚のギャップがあるようでは、講座の仕掛人、コーディネーターとしては失格です。少し自信を失いかけました。

<PR、募集チャネル選択の誤り>
 もう講座公開を決定し日程も決めたのですから、何しろ参加者を集めなければなりません。 いつものように準備の悪い私ですので、8月下旬から大慌てで再度、募集活動を行いました。身近で出来ることは、最近いただいた名刺、また今年の年賀状でメール・アドレスのある方約350通への連絡、お知らせです。時間とコストの関係で、郵送は無理なので、メールにしました。また過去のベンチャー講座に参加された方は、2003年以前はメール・アドレスの記入欄すらも私は設けていませんでした(時代が、連絡・通信環境が変わったのですね)。ので、郵送による方法しかなく、案内200通を郵送しました。

 また8月上旬に県の産業振興公社のHP内にある「ベンチャー・スタジオ」のメール・マガジンに本講座のことが紹介されました。さらにお願いして9月8日発行の同公社公式メール・マガジンにも掲載していただきました。
 さて9月の第2週(12日)頃から急に応募者が増加し始め、当日(16日)には事前申込者が70名近くになりました。
 「新しいブドウ酒には新しい皮袋」という言葉がありますが、新しいテーマには新しい募集チャネルが必要なことを強く感じました。

 皆さん、特に若い方には当たり前かも知れませんが、04年4月には携帯電話の契約者が8200万、そしてネット接続型携帯電話が7000万を超え、そして郵送等に比べるとコスト、手間が100分の1というネット環境の中で、大学の講座の募集においても「メール・マーケティング」が重要です。これを手掛かり、いろいろ実験にしてビジネスにおける「メール・マーケティング」を学ぼうと思います。そして何よりも、このような通信・情報環境の激変の中でビジネス・モデル概念の変化、ビジネスの背景、構造、影響の変化を見極めたい。それも沖縄という地域特性も踏まえた一般論を考えて見たいと思います。


鰍ワぐまぐ、野田事業開発室長 連続講座


<アンテナ・ショップならぬアンテナ講座の位置づけ>

 また今回の講座をアンテナ・ショップならぬアンテナ講座として位置づけて、参加者の皆さんがインターネットをビジネスの中にどのように位置付け、どこが大切と考えているか、等々を教えていただきたいと思っています。そうして本格的なインターネット・ビジネスの教育、カリキュラム体系に取り組んでみたいと思っています。初回にアンケートを取らせていただきましたが、その結果なども踏まえて第23報を報告させていただきます。



9月17日(土)

〇泡瀬シンポ裏方、目崎先生と15年ぶりに再会


 シンポジウム『アワセてみよう、干潟の自然とまちづくり』(主催:財・日本自然保護協会、財・WWFジャパン、財・日本野鳥の会)が、9月17日(土)午後1時からうるま市芸術劇場で開催され、その裏方を泡瀬干潟を守る連絡会が担当しました。家族で参加しました。
 これは「泡瀬干潟自然環境調査委員会」(財・日本自然保護協会)が2年間にわたって実施してきた調査報告を兼ねて開かれたものです。このシンポジウムの内容そのものについては琉球新報、沖縄タイムスの地元新聞でも報道されているので、ここでは省略します。今回のシンポジウムを踏まえて私なりの提案を改めて示してみたいと思っています。
 さて調査委員会の調査結果を分かりやすく、報告書<普及版>としてまとめて無料配布しています。ご希望の方は( http://www.nacsj.or.jp )にお問い合わせください。表紙と目次を紹介させていただきます。

 また、懇親会では調査委員長を務めた目崎先生(現・南山大学)と15年ぶりにお会いし、そして夜になると飲みました。本当に懐かしかったです。
 20年前、目崎先生が琉大の頃、教育大(現・筑波大)出身ということと、また当時、沖縄の環境研究という二人のテーマが重なっていたということもあって、昼間は議論し、時にはいや毎回、激論になりました。そして夜になると那覇市内でよく飲み歩きました。
 コザで夜を過ごすのも、近頃ないので久しぶりですので「姫(民謡酒場)」で我如子より子さんの女工節、娘ジントーヨーを聞いてから、帰宅しました。

 



9/7

  ◆ 沖縄大学院 現代沖縄研究科地域経営学専攻の試験科目、日程(1023日・月曜日)が決定しま
   したのでお知らせします。

社会人の方が受講しやすいように、講義は5限(午後420分−550分)、6限(午後630分−8時)に設定してあります。

また受験科目の語学(英語または中国語)は免除されます。なお出願は107日・金曜日です。

  平成18年度 沖縄大学大学院 入試日程


 沖縄大学専任教員を公募しています。

経営学総論、経営戦略を担当する教授、助教授、講師を公募します。応募締め切りは1020日・木曜日です。お知り合いの方でご推薦いただける方がおられましたら、よろしくお願いします。なお原則として年齢は50歳未満(採用時)です。

小生の「経営戦略論」、日々リニューアルしているつもりですが、マンネリ化は避けられません。

最新理論(IT経営、ビジネス・ソリューション、等)と新分野(IPO、M&A、等)をマスターした元気のよい若い人か、実践経験の豊富な中堅の方がパートナー、仲間になっていただけるといいなと思っています。

沖縄大学教員公募


8/31

8月23日(火)


・聖クララ修道院で修養会 −日本モダニズム建築−
・泡瀬干潟調査に参加

 少し夏休みらしい話題をHPに掲載し、皆さんの息抜きになればと存じます。
 夏休み(沖縄の大学では8月、9月です)前半の私の宿泊行事(?)が上記の2つです。

◆聖クララ修道院で修養会  −ぜひ一度、見学をお勧めします−

     米軍住宅にとても似ている

     沖縄特有の花ブロック(礼拝堂)

私が所属している「うふざと(大里)伝道所」の修養会が8月21(日)、22(月)にあり、我が家が3名、全員で12名が参加しました。

 修養会の内容そのものについては、皆さんあまり興味がないと思いますので旧約聖書、創世記37−50章(ヨセフ物語といわれる部分です)についての読書会で、大変有意義でしたとのみ簡単にお知らせします。



与那原の海を一望する礼拝堂(朝日に輝くステンドグラス)

<まさに沖縄モダニズム建築>

 興味深かったというか、ぜひ皆さんにもお知らせしたいのは、一度、見学をお勧めしたくご紹介します。それは宿泊をした与那原にある聖クララ修道院です。沖縄にはポスト・モダニズムまがい(いや失礼、私が気に入っているものも結構あります)の建築物は、あちこちに見掛けますが、私はこのように骨太で、ホッとするモダニズム建築は好きですね。


 この聖クララ修道院はまさに沖縄といわず日本モダニズム建築(1920-60年代)といってもよいのではないでしょうか。なにもタウトとレーモンドだけが日本モダニズム建築ではないですね。沖縄で戦後ようやく落着いた時代で、入手できる建築材料(主として米軍住宅材料と花ブロックなど)建築技術をフルに活用して、当時の時代主張(モダニズム)を建築で表現しています。

 まずこの建築物の第一印象は、修道院と礼拝堂をつなぐ回廊が米軍住宅(外観と構造)にとても似ていることです。そしてこの礼拝堂と修道院が与那原の海を一望できる丘の上にあり、特に礼拝堂から臨む海の一体化した景色の素晴らしさです。


 礼拝堂内部、素朴だが美しいステンドグラス


ゆったりした、ホッとするプロポーションとスケール感−修道院、礼拝堂をつなぐ回廊と中庭−

 また修道院、礼拝堂、これをつなぐ回廊と中庭のゆったりした、ホッとするようなプロポーションとスケール感が心地よい。

<当時の沖縄のモダニズムとは、時代主張、憧れのアメリカ文化>

 戦後、しばらしくして沖縄に建築材も施工技術もあまりなかった制約の中で、スラブ打ちとブロックによって工夫して作られたと思われます。建物のディテールに関してあまり密度は感じられませんが、それが却って素朴さ、そして何よりも全体に漂う清楚感です。
 宿泊した部屋も、狭いけれどもそれがむしろ落着き、畳敷きのベッドもまたよかった。久しぶりに冷房なしで、扇風機で一夜を過ごしましたが、むしろ心地よかったです。

狭くても落着く個室
−久しぶりにクーラーなしで寝ました−
修養会も熱心にまじめにしました!
ぜひ一度、沖縄モダニズム建築の見学をおすすめします 食事もシスター達の手作りで、
心のこもったものでした。
 
 ここの写真を研究室のメンバーの一人(30代半ばぐらいです)が見て「昔(この建物が建てられたころだと思いますが)を思い出して胸がドキドキする」と、〈礼拝堂〉ではなく、〈米軍住宅にとても似ている〉方の写真を指して言っていました。なるほどモダニズムという意味、メタファーは、その地域、その時代に固有のもので、いわば時代主張なのだなぁーと、一人で合点をしました。当時の沖縄のモダニズム(建築)、憧れはきっとアメリカ(生活)文化で、それを象徴する米軍住宅だったのですね。

 帰宅後、聖クララ修道院について調べて分かったことを付記しておきます。

 1958年の竣工で、設計は在日米陸軍技術部建設部に勤務していた京都出身の片岡献氏。アメリカのSOM極東地区の指導を仰ぎながら設計したようです。なるほど米軍住宅に似ている理由が分かりました。 

 
 最近この建築物が沖縄の戦後初期のコンクリート建築として、また日本モダニズム建築として評価が高まっているようです。
 沖縄在住の方はぜひ一度、見学されると良いと思います。

<沖縄モダニズム建築探し、ご一緒にしませんか>

 この聖クララ修道院の設計、施工等に関係された方がいらっしゃいましたら、当時のことをいろいろお聞きしたいので、メール、電話、等でぜひ、ご連絡いただければ幸いです。

 今度、これを機会に時間を見つけて、このHPで沖縄のモダニズム建築30とか50を少しづつシリーズで紹介させていただこうと思っています。対象は、戦前の建築は残っているのはほとんどないので、戦後から1960年の前半までかと思っています。
 ご興味のある方、ご一緒にしませんか。

※ 私がアーキテクチャーに関わったことがあるのは、つぎのものです。ご参照ください。

   ・これは私がデザインしたマンションのファサード(外構部)です。
   ・(共著)「21世紀の日本、その国土と国民生活の未来像(丹下グループ)」新建築社1972年。


○泡瀬干潟調査
 −熱帯干潟のあらゆるタイプの生きた教科書−


 このホームページで幾度か掲載しましたが、この夏は「泡瀬干潟を守る連絡会」のホームページの再構築(awase.net)に取り組んでいます。
 泡瀬干潟には単発的に幾度か行っていますが、このためにはもう一度、改めて全体を通してというか、体系的に干潟を観る必要性を感じました。
 民宿に2、3泊して調査をしようとして、それこそ水着で干潟まで歩いていける民宿を探したのですが、車で行かなければならないような場所しかありませんでした。そこで那覇の自宅からは、干潟まで高速道路を利用すれば一時間ですので、日帰りで泡瀬干潟に通うことにしました。
 まず、8月20日(土)に連絡会の前川事務局長に陸地側から案内していただきました。丁度、大潮の干潮時に合わせたので、広い範囲を歩き回ることができました。
  

陸(地)側から見ました 船(海側)から見ました
         海中を見ました
                                           

また、8月23日(火)は連絡会がベントス(貝類保全研究会)調査のお世話するため船を出しました。それに便乗させてもらって、海側からと海中(といってもスキン・ダイビングですが)をかなり広く見ることができました。この両日の体験を併せて、説明してみました。


《 泡瀬干潟はまさに小宇宙 》

 これまで泡瀬干潟を部分的には見て、知ってはいましたが、全体を通して強く感じたのは、次の点です。
 泡瀬干潟は(中城湾の)湾奧に位置し、リーフ・フラットに守られて一つの小宇宙(うまく表現できませんが、尾瀬沼のような高層湿原や例えば北アルプスの「雲ノ平」、のような高山の「平」のようないろいろな異なった生態系がワンセットになって、かつ周辺から独立している感じです)を作っている所です。
  そしてその小宇宙は多様で熱帯の干潟のいろいろな、いやあらゆるタイプが見られるいわば生きている博物館、教科書、見本市のようです。



泡瀬干潟と埋立予定地

 私もインドネシアのジャカルタ近郊のジャワ海に隣接する(興味のある方はクリックしてみて下さいCengkareng)チェンカレン(JICAプロジェクト)やタイ各地(アジア工科大学院滞在中)の干潟の調査をした経験があります。それらの各タイプの干潟がここではワンセットで見られます。

そしてあたりまえですが、干潟と湿地、浅海はワンセットではじめて生態系を形成していることを、ここ泡瀬では絵に描いたように見ることが出来ます。久しぶりにオダムの生態学の教科書の図が頭に浮んで、学生時代にもどった気分になりました。

前述したあらゆるタイプの干潟と表現したのは泥、礫、砂、海草藻場そしてラグーン(珊瑚)が隣り合って入り組んで(パッチ状に、とでも表現)、それぞれが個性的環境(ということは種相が異なるということを今回、改めて実感しました)で、さらにこれらが組合わさって生態系を形成しているのです。


《 では泡瀬干潟をご案内しましょう 》

では皆さんと、少しこの泡瀬干潟を廻ってみましょう。少年、少女の頃、湿原や磯、干潟を歩いた時のあの楽しかったことを思い出して下さい。

           淡水の池、湿地(図12)        カワツルモ(図12)

まず、この干潟で一番、内湾的要素が強いというか、淡水(的な)湿地帯からスタートしましょう。
 図の12の仮設橋梁と@の比屋根湿地といわれるころです。

 12のところの仮設橋梁の上流というか、少し上の方に湧泉があり、これが淡水の湿地、池を作っています。ここはカワツルモのような水草が生息しています。
 また、比屋根湿地は、夏のこの時期はあまり見られませんが、冬はここを中心にこの干潟一帯は、沖縄で最大の渡り鳥の中継地・越冬地になります。

次に隣の図Nのトカゲハゼ、Fクビレミドロの地点へ行ってみましょう。これらは底質が泥(シルト、粘土分)でできているところです。トカゲハゼの生息地としてはここが世界の北限(日本ではこの中城湾のみに生息しています)だそうです。
 個体数も激減しているそうで、残念ながら今回は見ることが出来ませんでした


比屋根湿地、沖縄最大の渡り鳥の中継地(図@) トカゲハゼの生息地(図N)
後に米軍泡瀬通信基地の通信塔が見える

 クビレミドロは砂質に生息する、直径3cmほどの房状の海藻で、簡単に表現するとフジマリモ(阿寒湖ではなく、河口湖、山中湖にある)をうんと小さくしたようなものです。藻自体は6月には枯死流失しますが、今の夏季は受精卵で夏(休)眠することで高水温を耐えています。ということで今は、肉眼では見ることができません。
クビレミドロの卵の流出を防いでいる小型海草(図F)


      コメツキガニの食事の跡(図O)

さらにOのコメツキガニの浜から砂州まで行ってみましょう。

この間は白い砂浜が海流で運ばれ砂洲を作っています。このようなところにあの愛嬌のあるミナミコメツキガニが穴を作っています。そしてエサをこし吐き出した団子状の砂の固まりがあちこちに出来ています。
 

 ヒメマツミドリイシの群生(小橋川共男氏撮影)  さらに、その先(西側)の航路予定地から、Lの西防波堤を、今度は船でアプローチして、潜ってみてみましょう。この一帯は多くの大型海藻、リュウキュウスガモ、リュウキュウアマモ、ボウバアマモが見られます。
 そしてこれらが泡瀬干潟の特色のひとつと思われますが、枝サンゴ(ヒメマツシドリイシ、スギソキミドリイシなど)と海草が混生している景観です。私はこれまでハマサンゴのようにさんご礁の状態はよく海中でみましたが、私の経験が少ないせいか海草と混生しているのはあまりみたことがありません。これが広く拡がっているのを見るのはなかなか壮観です。

海草の手植えの悲惨な状況(前川盛治氏撮影)

その続きでLの西防波堤の近くで行われている海草の手植えによる移植状況を見ました。埋立て事業者は「成功した」としていますが、所々は着生していますが、大部分は悲惨な状況です。このことについては連絡会のHPでも詳しく論じています。
 


神秘的なウミエラ(小橋川共男氏撮影)
 また、この近くで幸運にもウミエラを見ることができました。本当に神秘的でしたが、これも今、絶滅が危惧されています。
 さて泡瀬干潟(小宇宙)の紹介はまだまだ続きますが、今回はこの辺にして、後は「連絡会」のHP(awase.net)をご覧下さい。

邪魔をする監視船

《 総合事務局チャーターの監視船が邪魔を 》  
 −大人げないことはやめよう−

 浚渫土砂埋立て用の護岸の作業付近、といってもかなり離れたところでベントスの調査をしていると、さっそく監視船が近づいてきて調査の邪魔に入ってきた。
 こんな事をすると事業者の沖縄総合事務局が工事で違法なことをしていて、われわれ市民に見られるのを妨害しているのではないかと疑われてもしかたないですね。現に汚濁防止フェンス(幕)を張らずに工事をしていました! 
 われわれは、辺野古の米軍基地反対運動(カヌー、飛び込み隊を作って実力行使)とは異なる運動をしようと思っているのに、このように大人げないことをすると実力行使をせざるを得なくなります。
 事務局の担当官は、下請の土木業者、監視船(チャーター漁船、漁業者)を含めてしっかりとした監督、教育をしておく必要がありますね。

《 沖縄の夏の紫外線対策は万全に 》
 UVカット水着の効果大−

 写真でご覧下さい。これは私の足です。 今回の調査に当たって紫外線対策用にUVカットの水着を購入しました。上半身は長袖で全身をカバーするものがあったのですが、下半身の方は足の指先まで入る、股引のようなカバーするものもあったのですが、少し年寄りっぽいのでやめにしました。そこで若者向けのサーファー用のかっこよい膝までカバーするものにしました。
 その結果が、この写真で大失敗でした。カバーしていない所は写真のとおり、半ば火傷の悲惨な状態になり、今もひりひり痛んで大変です。それにしてもUVカット水着の効果はすごく、カバーした所はほとんど日焼けしていません。
 同年輩の(特に沖縄在住の)皆さん孫の海水浴の世話をする時には、多少恰好が悪くても全身をカバーするUVカット水着をお勧めします。ゆめゆめ、沖縄の紫外線を甘くみませんよう、御気を付けて残された夏をお楽しみ下さい。お元気で。

9月4日(日)午後1時〜、〈STOP ザ・埋め立て!! 泡瀬干潟・大集会〉が開催されます。
詳細はこちらをご覧ください。

<お知らせ>

 今回からHP更新は吉川研究室のスタッフ、仲宗根さんと前盛さんによるものです。
 これまでは千葉さん(元・レキオス航空)に担当してもらっていましたが、なかなか自分の専門を生かせる職場がなく、本土に引き揚げました。そういえばウェブ・デザイナー大隈さんも半月前に本土に帰りました。同じ理由からです、残念です。沖縄でいろいろな専門が生かせる職場を作り、若い人々が暮らせるようにするのが私たちの使命だと思います。



8/15

◆追記しました。
 →インターネット時代の環境・住民活動モデル(わらしべ長者の隠喩)
 →暑中見舞いにかえて、提案(第2報を追記)


8/11

 猛暑厳しい中、皆様にはお元気のことと存じます。

 大学の方は明日(12日・金)の全学教授会が終わると本格的な夏休みに入ります。

 後期は10月に再スタートしますので、この一ヵ月半は授業がありませんので、この期間を利用して新しいことを勉強し、チャレンジしてみたいと思っています。

◆e-ビジネスを具体的に学ぶ     

 e-ビジネスについては私なりにいろいろ勉強し、これを沖縄産業・企業の振興にどう活用するか(沖縄型ビジネス・モデルの沖縄型BM<理論編>4.IT、デジタル化によるベンチャー・ビジネスの可能性など)を提案してきました。しかし具体的なビジネスでどのようにして利益を上げるか、そのポイント、等をもう少し体験も含めて勉強してみたいと思っています。

またe-コミュニティーでB及びCのインタラクションによる物づくりの可能性にもチャレンジしてみたいと思っています。前掲しましたように9月より半年間、月一回、鰍ワぐまぐの大川社長、野田事業開発室長の協力を得て連続公開講演会を開催します。

面白い講座(無料です)にしようと思っていますし、月一回ですので、ぜひ皆様もご参加ください。

◆インターネット時代の環境・住民活動モデル

 −わらしべ長者型住民活動モデル−

 沖縄で最大で、貴重な泡瀬干潟埋立ての工事が再開されました。

 何としても工事を阻止し、中断に持ちこまなければなりません。インターネット時代における新しい住民活動モデルを模索しています。

 まず沖縄、全国に実態を知ってもらうために「泡瀬干潟入門から専門家への情報提供まで」というホームページの再構築に取り組み始めました。出来れば8、9月中に完成していみたいと思っています。

 またそのためにも泡瀬干潟を良く知るために8月下旬、5日間ばかり民宿に泊り込みし、海の中を歩きまわろうと計画しています。

そして、このホームページをプラットホームにした「わらしべ長者型住民活動モデル」を構想しています。それは長者になる、これは自己実現を意味しているわけで、例えば泡瀬干潟の保全です。自己実現をするために、わらしべ(あぶ)から始まって、屋敷と田んぼを入手するまで、皆が持っているいろいろな物を交換しながら目的を達成していくというものです。これはいろいろな人が持っている才能、また物と時間を出し合い交換過程(それぞれがより満足度を高める)を経て目的を達成しようというものです。

追記(’05.8.15)

 わらしべ長者、わらしべ(あぶ)から始まってという部分について、これは何なのですか、どういう話しですか、またどのようなメタファー(隠喩)か、という質問が幾つか寄せられました。

 そういえば「わらしべ長者」というのは大和の昔話(『今昔物語集』『宇治拾遣物語』に収録されている)でした。少し長い引用ですが下河辺淳、金子郁容編『ボランタリー経済の誕生』(実業之日本社、1998年)pp.388〜389に、本稿と同様な趣旨で紹介していますので、引用しておきます。

 『身寄りのない貧しい男が長谷観音のお告げで、「最初につかんだものをずっと大事にしなさい」といわれる。男は目がさめたとたんに門でころび、藁(わら)をつかむ。しかたなくその藁をもっていると顔にアブがまとわりつく。男はアブを藁に縛りつけそれを回しながら歩いているうち、それを見た若者はあの回っている藁がほしいという。しかたなく蜜柑三つととりかえてもらいしばらく進む内に、今度は女房が歩き疲れてしゃがみこんでいる。供の者が「このへんに水はないか」と聞くので、近くにはないが水をくんでくるあいだ蜜柑を食べていてくれと男はいう。女房はその蜜柑で喉をうるおわせて感動し、男はお礼に布三疋をもらう。

 次に男が出会ったのは馬を所持している者である。この者はすばらしい馬をもっていてこれを都で布千疋に換えようと思っていたのだが、その馬が急に倒れ、やむなく別の駄馬を引いていた。男は話しを聞き、布を提供して代わりに馬をもらう。馬を引きながらそのうち都の入口にたどりつくと、ある家から急いで旅立つ者があり、馬をほしがられる。男が馬を渡すと、その者は自分はよんどころない急用でこれから家をあけるのだが、よかったらこの稲田を守っていてほしいといわれる。そこで男はその家に留守居をし、稲田を耕し、一年づつ収穫を得ているのだが、その者からはいっこうに音沙汰がない。こうして男はついに家持ち稲田持ちとなり、丹精こめた稲の収穫も格段のものになっていった。そこで人よんでこの男を「わらしべ長者」というようになった。』

 そしてこの昔話を「男が無一文の出発点として自分の手元にあるものを偶然に出会った者たちと次々に交換していく方法は、一見、プリミティブであるように見えて、実は大変ラディカルなもの」と位置付けて、つぎのような示唆が隠されていると指摘している。

・著者らが提唱している自発的相互性(Voluntary mutuality)を基本にしている。ボランタリーという言葉は自身から「相互関係を求める自発性」という意味である。

・この物語は、フラジャル(吉川注:fragility、弱さ)な出発点は必ずしも貧弱を意味しないことを訴えている。最初の<弱さ>は以降の「つながり」によって、「実り」になり得ることだった。

・この物語では藁しべ(わらしべ)にはアブを結んで遊ぶものとして、蜜柑は旅人の乾きを癒すものとして、見えない価値が生きていた。男が交換したのは藁と蜜柑ではなく、実は「遊び」と「癒し」という互いに求め合っている価値だった。

そしてこれは、当事者が持ち合わせているものをその場その場で判断した結果で、物品の背後の情報価値だった。これは各自が<ボランタリー・コモンズ>(吉川注:「インターネット+伝統的共同体」というイメージ)の各場面において、それぞれの「持ち前」を生かすという方法なのである。

 また現実的な意味でも、NPOの国民経済への影響は、すでに無視できないほど大きくなっています。手許の資料(2002年発表)ですと、NPも先進国アメリカではNPOのGDP比率は8.3%、雇用比率は11.9%、日本はGDP比率が5.0%、雇用比率が4.6%です。

◆沖縄でお待ちしています

 この夏休みはほぼ沖縄、大学、泡瀬に滞在しています。本土の皆様が沖縄にいらっしゃるのをお待ちしています。ご連絡ください。

 また8月下旬には筑波新線が開通しますので、9月中〜下旬に一度、筑波にも行こうと思っています。卒業生の皆様、お会いしましょう。


8/2

○ 暑中お見舞いにかえて、提案

『沖縄(産)物販、健食などにかげりが出てきました、その対策と提案』

−沖縄ファンと一緒に商品開発システムサイトの構築−

      沖縄型(顧客指向型)生産システムの提案
     ビジネス・プラットフォーム「沖縄コミュニティーサイト」

日本の従来型        沖縄型
生産システム  (逆転)  生産システム

製品・サービス開発

売り手、生産者  →    買い手

価格

生産者       →    買い手、マーケット

生産開始

販売前       →    販売後

価値

製品        →    サービス

経営戦略・資源

立地場所     →    顧客情報

○沖縄ハム総合食品株式会社 長濱会長が、7月29日、地元両新聞社に意見広告を出しました。

 私が沖縄に定住することになった直接のきっかけは、長濱さんが本部町長の時でした(このことは別に改めて述べることにします)。長濱さんの『豚肉の差額関税及び研究輸入制限に対する意見書』に賛同し、掲載させていただきます。



7/26

○恒例ともなりましたが、夏休みの沖大ベンチャー公開講座「特別講演会・ベンチャー起業の株式上場とナスダック株式市場」(8月5日・金、午後7時)を企画しました。ご案内させていただきます。

講師を務めていただく藤野さんとは10年来の友人で、ベンチャー・キャピタル(キャピタリスト)として幾度かアドバイス、支援していただいたことがあります。

最近はご多忙でなかなかお会いできる機会がなく、久しぶりにお会い(飲む)できるのを楽しみにしています。

また、9月から半年間、添付のような「連続講演会・インターネットで独立、開業成功への道(6回)」を企画しました。

沖縄の物産、企業に詳しく、本土への物産販売を専門にしている野田さんを講師にして「沖縄物産販売のウェブサイトの入門から立ち上げ(ビジネス・スタート)」までを開催します。

野田さんを一口で紹介すると「沖縄滞在120日、沖縄大好き」「沖縄支援ビジネス」「沖縄の商品を売りたい人は野田へ」がキャッチフレーズです。

特別講演会、等は今、沖縄で必要なテーマを中心に企画していますが、実は私自身が聞きたいテーマでもあります。私が聞きたいテーマの専門家をお招きし、講演をしていただくと同時に、その前後でプライベートなことも含めて、いろいろお聞きすることができます。まさに一石二鳥でもあるわけです。


7/15

辺野古、そして泡瀬干潟、カンパのお願い

6/18

『沖縄大学・大学院特別公開講座』で「沖縄の可能性を変える地域経営専攻」を講義しました。



6/14

○「沖大法経学部紀要第5号」が刷り上がりました。なお、形式的には発行日は3月31(火)ですが、実際は今日です。

 拙稿はつぎのようなものです。英文で16頁と大分長いのでタイトル、目次を見られ、ご興味のある方はご覧下さい。

Theory of Regional Venture Business(U)

- Based on the experience of venture support work in Okinawa -

(沖縄新産業・企業論、そのU)

本論文(目次)のみ(PDF)  
本論文全文(PDF)                 



6/11-/13

山原(やんばる)にイジュの花を見に行きました。


6/7

○サンゴ産卵観察へ行きましたが、まだでした。

 泡瀬干潟を守る連絡会からの連絡で、今夜の大潮がサンゴ産卵の可能性が高いという連絡が入りました。午後6時、泡瀬漁港の隣りのマリーナから船が出るというので、参加しました。サンプル採取して調べると、サンゴの枝先の方がピンクになっていて、今にも産卵する状態でしたが、残念ながら、今夜は産卵しませんでした。つぎの大潮になりそうです。 こんなに自然の豊富な泡瀬が、今、埋立てられようとしているのは、とても残念です。ぜひ守りたいものです。

         

          ※ぜひ守りたいものです(使い捨て水中カメラで撮影したので不鮮明です)。

6/4

○今年も月下美人の花が咲きました。 昨年に続いて今年も花が咲きましたが、翌朝には枯れていました。また、香りもあまり強くなく上品です。



5/30

イタリアのベネチア大学のRosa Caroli教授来沖。とてもエキサイティングな議論をしました。



5/24

○久場政彦先生御夫妻、平良哲雄さんと夕食会をしました。

本土復帰直後、勤務していた財・政策研究所で「沖縄土地利用基本計画」に取り組みましたが、その時以来お世話になっているのが元琉球大学教授の久場先生です。

 当時、私も30歳で、先生も50歳代でしたが、現在62歳と85歳です。その後、先生は沖縄金融公庫の副理事長、また沖縄開発審議会の委員長などをされました。私も同専門部会の委員などをし、お世話になりました。

 平良哲雄さんは、現在、沖縄通関社の会長ですが、当時は社長で自ら沖縄と海外航路(特に中国)の開設に取り組んでおられました。私は平良さんと組んで「与那国開港プロジェクト」「沖縄−アモイ、コンテナ船航路開設」「沖縄−アモイ、チャーター航空貨物開設」に取り組みましたが、いずれも平良さんの働きがあって成功しました。そして現在の上海定期便などに結びついています。

そして、久場先生と平良さんが、親友ということもあって、その後、と言っても20年前ぐらいですが、三人でよく飲み歩きました(皆さん、久場先生は飲まないと思われているでしょうが、実は若い頃は・・・)。

<入院先の病院で会うよりは、一緒に飲めるうちに・・・>

 年をとると、それぞれ何らかの病気や体調の不調や不安を抱えています。そしてこんな話になりました。入院して、病院でお互いにお見舞いで会うより、まだ飲みに出掛けられるうちに、会おうということになりました。このような企画は、とかくその内に立ち消えになるので早くしようということで、お会いし夕食会をしました。

 奥様の久場とよ先生もお元気でした。沖縄の人はご存知の方も多いと思いますが、とよ先生は画家で、主として人物画を得意とされています。とよ先生は人物画で有名な名渡山愛順のお弟子さんです。私はよと先生が描く、女性それも中年以上のモデル(いや絵)が皆、凛としている佇まいが好きです。

〈 白い絣の女 〉



5/17-5/21


○ 沖縄タイムス「ベンチャー、成功と失敗を通して」を5回連載しました。新聞と本HPとのジョイントの新しい試みをしました。

「沖縄型ビジネス・モデル」 沖縄型BM<実践編>に掲載しましたので、ご覧ください。


5/21

○ 嘉数啓先生を囲んで受講生と参加可能な方で、吉川テラス(研究室隣)でパーティーをしました

嘉数啓琉大副学長を囲んで乾杯 −サン・ミゲール・ビールとフィリピン料理で−

※これまでは文は文、写真は写真(添付)で味も素っ気もないというご意見がありましたので、新編集、写真を添付にせず文中に入れてみました。

 5月21日(土)の夕、嘉数啓先生を囲んで受講生と参加可能な方で、吉川テラス(研究室隣)でパーティーをしました。


 沖縄は今の「うりずん」の季節がとても過ごしやすい時期です。テラスで美しい日没を背景にして夕風に吹かれながら、食事とアルコールで楽しい懇談会をしました。

 今春、沖縄大学に新設された大学院、現代沖縄研究科で「沖縄地域産業事例研究T」の特別講師を嘉数先生にお願いにしています。教室を離れて、少々アルコールも入れて、ディスカッションをしようということでパーティーをしました。今回は嘉数先生にちなんでサン・ミゲール・ビールとフィリピン料理を準備しました。

 沖縄の経済、産業振興についての話が弾みました。嘉数啓先生についてはご存知の方も多いかと思いますが、大学の先生では多彩な経歴の方です。前任の筑波大学の社会工学部では、このような経歴の先生が多かったのですが、沖縄では珍しいです。大学は琉大を始めとして他に3大学(もしかすると4)、その間、アジア開発銀行(ADB)、沖縄振興開発金融公庫の副理事長を経験されています。

 今回、お聞きして初めて知ったのですが、大学教師(非常勤)の初めての経験は、沖縄大学だそうです。座喜味彪好氏(当時、琉球米国民政府、いわゆるUSCARで統計担当、後に副知事)の後任で統計学を担当されたということでした。


 私は嘉数先生とは、国の方ですが(当時、総理府)、第一次沖振計の(中間)見直し、及び第二次沖振計の時期、ご一緒に専門委員をし、振計作りをしました。 また先生が丁度、ADBにおられた時、ラウンド・テーブル・スピーチで『日本の中小企業の挑戦、特に企業間連携』で私が日本代表(?)でスピーチ(今、思い出しても赤面します)をしました。

 (?)のところですが、本来、清成忠男先生(当時・法政大学経済学部長)がスピーチする予定だったのが、急病で私がピンチ・ヒッターを努めたという訳です。その間、わずか一週間の準備期間でした。その時、嘉数先生には大変お世話になりました。せっかくフィリピンに来たのだから、同国の産業・企業を見てください(それも自由に好きなところを)ということで、ADB持ちで五日間ばかりマニラ・ホテル(これがまた風格のある伝統的なザ・グランド・ホテルで、夕方はロビーでクラシック音楽が演奏されます)に車付きで宿泊させていただきました。


 今まで私が経験したことのない大変豪華な五日間のホリデイ・マニラいやスタディー・マニラでした。さらに帰りはマニラから沖縄経由にしてもらいノース・ウェスト航空のファースト・クラスというものでした。 それにしても、もう24、5年前の話になります。パーティーでは、こんな昔話もして盛り上がりました。しかし、帰宅途中、こういう昔話が中心になるのでは、私も年だなぁーと少し、考えさせられました。

          <紹介、沖縄のフィリピン料理店
         −フィリピン・チャイニーズ料理です−

          

5/20

泡瀬干潟『自然の権利』訴訟支援する会結成に参加

 −環境保護のみならず観光業、土木・建設業にとってもプラス−
・記者の皆さん、真っ赤な嘘に騙されないで下さい。
・専門家の皆さん、義務とプライドを-時には住民に嫌われても。



5/17

○JICAで講義、英語でしゃべらないと。

 4月29日(金)と5月17日(火)に浦添の沖縄国際センター(JICA)で3時間づつ英語での講義がありました。プログラムは『熱帯・亜熱帯エコツーリズム人材育成研修』(NPOおきなわ環境クラブ)で地域(沖縄)における経営資源、エコツアー・プログラム作成(KJ法による)を実施しました。
 受講生はドミニカ、ホンジュラス、マレーシア、サモア、ソロモン諸島などアジア、南米、太平洋諸島とまったく世界中(アフリカはありませんでした)の途上国からの中堅官僚の方々です。

 KJ法など初めて習ったわけですが、問題意識がしっかりしているので、わずか2時間ほどでプレゼンテーションまで済ませました。なかなか見事でした。

 

 さて私はいつになっても、何歳になっても英語での講義は不得意で苦労をします。
 NHKテレビに「英語でしゃべらナイト(ないと)」という深夜の番組があります。英語がしゃべれないアナウンサーの方が四苦八苦して、英語をマスターしていく過程をおもしろおかしくドキュメンタリー風に放映をしています。
 講義の一週間前は、まるでこのテレビ番組を地でいっているようなのような苦労をまたしました。



4/30-5/5

○ この5月の連休は、親族の結婚式でソウルへ行きました。その様子は「家族ニュース」に掲載しましたので、ご覧ください。

※韓式の中での私の挨拶は、韓国の親族の方も読めるように韓国語訳してもらいました。当研究室スタッフの仲宗根さんのご主人、呉續ヘ氏に翻訳をお願いしました。

『新婦の修論のテーマこそ、結婚のテーマ』(日本語) (韓国語)PDF

−国家関係も、男女間の愛情から−



4/28

○『ベンチャー公開講座のご案内』

 恒例になりましたが、本年度のベンチャー公開講座のご案内をさせていただきます。

 チラシが出来ましたのでご覧ください。

          

本年度は明確な「沖縄型ビジネス・モデル」を持って経営されている方(企業)と、またこれからの沖縄で、企業経営の展開に必要なビジネスの紹介を中心にさせていただきました。

 ここでは企業の大小にこだわらず、沖縄型にこだわってみました。これは逆に学生さんが、これなら自分にも企業できるという効果もあります。

 お知り合いの方にもぜひ、ご吹聴ください。

 関係するホームページの部分を示しておきます。

・講座の申込み用紙(願書)  →沖縄大学公開講座申込書(PDF) (Word)

・沖縄型ベンチャー・ビジネス →HP 沖縄型ビジネスモデルhttp://www.okinawa-u.ac.jp/~yosikawa/model.html

リンク集(各講師が取り上げる企業のホームページ)

・新着情報より 「ジオン」発売記念祝賀会 →HP新着情報’05,4/20          

・ケース企業の紹介(船井講演会) →HP http://www.okinawa-u.ac.jp/~yosikawa/sien/sien1.html

・過去の沖大ベンチャー講座のチラシ →HP http://www.okinawa-u.ac.jp/~yosikawa/kouza.html

追記

※ 健康診断書と写真は後日でもよいですから、まず願書をご提出ください。

※※ 本学の公開講座申込みの際に、半年という短期にも関わらず「健康診断書」の提出が求められます。これは、過去に伝染性の疾病でトラブルがあったからです。本学の学生で結核を患った学生がいたそうですが、健康診断を受けていなかったため事前チェックできず、講義に参加していた学生全員の健康診断が必要になった、ということがあったためです。このようなリスクを避けるためにもご理解いただきますよう予めお願い申し上げます。


4/19

4/8(金)

○『アモイ(厦門)・那覇航路、就航10周年記念パーティー』

− 沖縄県民の悲願の達成 −

 4月8日(金曜日、夕)、南西海運(旧・大米興産)主催による就航10周年記念パーティーがパシフィック・ホテルで開かれました。中国側から参加者もあり、大変賑やかでした。

 下地宏社長の挨拶にもありましたように、当初の貨物はわずか5コンテナー(20フィート)、そして得意(顧客)先は10社に満たなかったのが、今は月4便でほぼ満載(60コンテナー)で顧客も100社を超えています。

 添付資料『100年越しの夢−南清航路、那覇−福州、閉ざされた海道−大交易時代再来の願い今も』(琉球新報‘99年1月31日)にもありますように、少しオーバーに表現しますと、本航路就航・継続は明治、大正、昭和そして平成の各時代を通して、いわば沖縄県民の、そして私の悲願でもあります。

   それは、沖縄経済の持っている特性(潜在能力)を発揮するための、いわば土台(ビジネス・プラットフォーム)なのです。これについては拙稿『まず航路ありき、地域型国際物流システム』をご覧下さい。

   南西海運・下地宏社長はこの悲願を達成し、そして継続されているわけで、お祝い、尊敬申し上げると同時に、航路をぜひ継続していただきたいと思います。小生は本航路就航と関わった関係から、スピーチ(さらなるこれから10年「2005〜2015」のための本航路の戦略)をさせていただきました。

 航路開設の苦労、思い出、エピソードなど、それこそ山のようにあります。しかしパーティーでは、さらなる10年間継続させていくための戦略の話しをさせていただきました。それは沖縄にとって、日本にとっての修ごくの貿易と経済関係の位置付けがまったく異なってくることです。

 しかし、私の挨拶、中国の通訳も含めて10分近くなり、長すぎてひんしゅくをかったかもしれません。ホームページをかりてお詫びします。

また、パーティーには、航路開設の仕掛け人(世論形成から実行部隊まで)の方々が、多く参集しました。「中国航路開設に関わった懐かしいメンバーが全員集合しました。」を添付しましたので懐かしい方はご覧下さい。当時の写真も多く添付しました。

4月4日(月)

反対運動の決意を新たに泡瀬に行ってきました。

4月2日(土)

「ジオン」発売記念祝賀パーティー

3月28日(月)〜30日(水)

これは私がデザインしたマンションのファサード(外構部)です。


3/26

3月23日(水)レキオファーマの新薬の出荷販売がスタートしました。

4月16日(土)、17日(日)、川田禮子・功子・公子の会 冠船流・琉球舞踊(池袋・みやらび)へのお誘い


○興徳開発の本格的な再建をスタートします。3月17日〜19日、徳之島に行きました。

 3月17日、18日、19日、(株)興徳開発の本格的な再建スタートのため、徳之島に琉大・福井先生、息子の尚伸(地質、河川堆積物の専門)とで行ってきました。徳之島の採砂現場(右上にプラントそして左端に私と息子が写っています。このパノラマ写真の部分が全開発、砕砂予定の場所です)を見て、その可能性の大きさを再確認し、事業再開の決意を新たにしました。

 この件については近々、詳しくお伝えしようと思っています。取りあえずその後の興徳開発ということで写真のみ、まず紹介しておきます(プラントの写真)。また、徳之島のイタジイの新緑がとてもきれいでした。


船井総研ロジの野田さんが『沖縄のよい品』を探しています。お持ちの方、ご存知の方はぜひ野田さんにご連絡ください。


3/13

2/28(月)

○学部長職を辞任しました。晴れて(?)自由の身になりました。

医師と家族の強力なアドバイス(助言ではなく勧告)もあって、2月一杯で法経学部長を辞任しました。

私は研究、教育職はどうにか勤まるようですが、どうも事務職、調整職は向いていないようです。学部長をしていますと、講義が集中する水曜、木曜を除いては土曜日も入れ、終日、朝から夕まで会議の連続で時間がフィックスされるという感じです。フィジカルにはともかく、精神的に時間が一方的に潰される、奪われるという感じになります。

また今年度から大学院がスタートしますが、1年度目でも4科目担当しなければならず、ほとんど大学院の専従のような感じになります。大学院ですので、講義の準備等、この負担も大変になります。

実際、時間が出来たら果たして本を読むか、論文を書くかは別にして、論文を書く時間がないということがストレスになり体によくありません。

 3月1日(火)から晴れて(?)、自由の身になりました。さっそく外部の専門会議、講演会、水泳、散歩、等々を楽しんでいます。

この一週間、ご紹介しましょう。また、今後の行動計画もいろいろ立てています。

来沖の皆様もどうぞ研究室をお訪ね下さい。時間ができますので、いろいろ対応可能です。楽しみにお待ちしております。

3/1(火)

○さっそく水泳に行きました。しかしチケットが期限切れで使えませんでした。ということは・・・・・。

 午後、さっそくこのところ行っていない近くのスポーツ・クラブに家内と水泳へ行ってきました。しかし受付に出したほとんど使っていないチケット(帳)が、半年を過ぎていて「期限切れで使えません」と言われ、買い直すはめになりました。ということは半年近くも水泳に行っていないことになります。私は、半年近くも来なかったことが、ちょっとショックでしたが、家内はチケットを買い直すはめになったことがショックだったようです。


(株)レキオファーマのメンバーが還暦を迎えました。山田取締役、笹井元・監査役がお祝いで赤いチャンチャンコャンコを着た写真です。


3/3(木)、4(金)

名護市の万国津梁館で開かれた『第2回 沖縄金融専門家会議』に参加。「沖縄を金融のメッカに、またプライベート・バックの設立を」・・・大分的はずれ、ピントがズレているのではないか?と思いました。

○会議終了後、一緒に参加した琉大の福井先生と自宅で300gのステーキに挑戦しましたが・・・・・。

 久しぶりに福井先生も御一緒して、我が家で夕食をしました。昔なつかしい(?)丸一ミートで300gのステーキにカットしてもらい、私が皆さんから注文どおりに、ミディアム、ミディアム・レア、レアで焼き上げてサービスしました。 しかし、やはり年齢は隠せませんね。なんと私と家内は全部食べ切れませんで、途中でダウンしました。福井先生と息子は全部たいらげ、もう少しないかという顔をしていました。

 皆さんも年齢を考えて、お気をつけ下さい。若い頃の記憶で、目では食べられるのですが、胃袋は正直です。老婆心ながら。


3/5(土)

○グリーン・ピースの「虹の戦士号」、那覇港入港

 グリーン・ピースの「虹の戦士号」那覇港入港、反戦、辺野古の基地建設反対のキャンペーンのためグリーン・ピースの「Rainbow Warrior 」が那覇港(通堂)に入港しました。家内とさっそく訪問、激励に行ってきました。これは2代目だそうです。1代目はムルロア水爆実験の反対の時で、1985年、ニュージーランドでフランスの秘密工作部隊に爆破され、その補償金で作られ(既存の船をキャンペーン、活動船に改造)たものです。

グリーン・ピース・ジャパンのウェブのメッセージボード上で、辺野古の米軍基地建設反対の受付をしています。皆さんもぜひ反対の意思表示をしてください。→http://www.greenpeace.or.jp/dugong/

 船自体は北海、ノルウエー海で操業していたかなり古い船体(トロール船)だそうですが、改造され全自動操縦の近代装備、また、ゴムボート、自転車などが所狭しと船倉に準備されていて、いつでも活動可能という感じで、見ているだけで何か胸がワクワクします。グリーン・ピースに対する何か注文はありませんか、という問いに「More radical action without violence」と答えました。

与那国開港(運動)の懐かしいメンバー(元・沖縄タイムスの諸見里さん、喜久村さん)と一杯やりました。


3/6(日)

○沖縄大学入試B日程、面接担当。


3/7(月)

○那覇南ロータリークラブでランチョン・スピーチ。

以前からKBC学園(専門学校)の大城理事長から、ロータリークラブでのランチョン・スピーチを幾度か依頼されていました。学部長をしているときは、何時、何が入ってくるか分からないのでお引き受け出来なかったので、今日、お約束を果たしてホッとしました。同クラブで稲垣さんとも久しぶりにお会いしました。

久しぶりに糸満の大度(おおど)海岸へ。


3/10(木)

特別番組:懐かしい「ボンソワール」(バー、久茂地・病院通り)へ10年振りに行き着きました。

※学部長を辞めての一週間のみ(限定?)を紹介しようと思ったのですが、たまたま10日(木)に偶然にも「ボンソワール」に行き着きました。懐かしく思われる同輩の方、とくに足腰が弱って(?)夜、出掛けられない方のために情報を提供します。

今日は家内が夕方から夜遅くまで用事があり出掛けるということで、息子と一緒に夕食に出掛けました。しかしそれだけでは終わりませんでした。

「びすとろ・けんいち」(モノレール駅・牧志のすぐそば)へ行きました。ここの「牛のほほ肉の煮込み」(皆さんにお勧めです)が最近、気に入っています。(普通、ポルトギッシュ・ワインのソースで甘くなりがちですが、ここはマディラ酒を使っています。)私のいつもの悪い癖なのですが、何か一言言わないと気が済みません。「ソースにもっとマディラ酒を入れるといいんだが」といって店を出ました。時計を見たら7時半で家へ直行するのは、時間が余りにも早すぎます。

 そこで「ふうー(風)」(西消防署通り)へ、軽く一杯というわけで寄りました。ここは廃人、いや俳人の前田貴美子さんがやっているお店です。前田さんが本土出身ということもあって、本土から来て長く沖縄に住んでいる人が結構通っています。

 貴美子さんのきっぷの良さというか、小股のきれあがったという感じの、会話のテンポの良さ(早さ)についていける客は通うようになるし、ついていけない客は来なくなるというお店です。

 ここでたまたま日商岩井の元・那覇支店長の大城さん(以前、沖大の非常勤で「貿易実務」も担当してもらいました)と3年ぶりにお会いしました。退職された後、すぐ胃の手術を受けられ、最近、普通に飲めるようになり、また「ふうー(風)」に通い出したということです。

 大城さんが飲めるようになったお祝いを兼ねて、彼がおそらく沖縄で一番長くやっている(ということはママも古いということ)バーに案内するということになりました。行き着いたところが久茂地の懐かしい「ボンソワール」でした。ここは私も沖縄の本土復帰前後、何度か通っていたお店です。当時、沖縄でなかなかクラシックが聴けるところがなくて、レコードが揃っていたのはこのバーぐらいでした。

 という訳でこの夜は深夜に至ったわけですが、例えばこのホーム・ページの10月23日「沖縄県土地利用基本計画30年ぶりの集い」のメンバーの話しや、誰々は元気らしいとか、最近彼は顔を見ないので大丈夫か、という話しでした。

 また、来る客、来る客がまた懐かしいメンバーでした。

 皆さんも老骨にムチ打って、たまに来ると元気になります。小生も元気になりました。書き出すとキリがないので、この辺で特別番組は終えることにします。

なお、「ボンソワール」のママが言っていました。開店35年で、常連客はこの世に居るのより、グソーに居るメンバーの方が多いので、そろそろグソーでの開店準備をしようかとの話しです。



2/18

 たまには良いことが続きます。

・ 2月14日、小生が関係しているレキオファーマ、ベンチャー高安の2社ともが『ジャパン・ベンチャー・アワード2004』で全国16社の中に選ばれ、受賞しました。

・ 私事ですが11日、末娘の結婚披露宴をロワジールホテルで開きましたが、沖縄式(演芸中心)で楽しかったです。

・ また、7日の地元2紙の朝刊トップに『辺野古沖移設見直し』が掲載されています。本格的な見直しが検討されだしました。

●『ジャパン・ベンチャー・アワード2004』でレキオファーマが経済産業大臣表彰、ベンチャー高安(ぬちマース)が奨励賞を受賞しました。

掲載記事 (2月15日 琉球新報)

『ジャパン・ベンチャー・アワード2004』(創業・ベンチャー国民フォーラム主催)で2月14日(月)、レキオファーマ(奥キヌ子社長)が起業家部門で経済産業大臣表彰、また同部門でベンチャー高安(ぬちマース)が奨励賞を受賞しました。

本賞は毎年、全国の優れた企業家16人がノミネートされた上で、受賞が決定しますが、今年はこの中に2人までが沖縄からのノミネートでした。それもレキオファーマは現在、取締役をし、10年来、協力をし、昨年「新薬の承認」にこぎつけました。またぬちマースは、小生の社会人クラスの教え子で、顧問として経営指導に関わってきました。

この2社、お二人が受賞されたのは、なんとも嬉しく、沖縄もこれから本格的なベンチャーの時代になると胸がワクワクします。

・ ベンチャー高安と私 −塩売の行商に、上京−

●辺野古沖移設見直し

2月7日(月曜日)、地元2紙朝刊のトップに2段抜きで『辺野古沖移設見直し』が出ています。

同日の朝日新聞に掲載されていないので、確かめたところ「裏が取れないので」とのことでした。同紙、夕刊には地元2紙のトップで「移設見直し」と転載記事として掲載されていました。このようなことから明らかに政府(筋)からの観測気球(アドバルーン)ですが、アドバルーンを揚げざるを得ないところまできたわけです。大変、ホッとしているところです。 この記事に対して稲嶺知事は「一喜一憂せず」ということは、見直し反対。これに対して岸本名護市長はさすが政治的センスが良いですね。これまで言ってきたことをガラッと変えて「見直し、大歓迎」というコメントを出しています。

 これらに対して案の定、「建設促進会議」が2月15日に発足し、23日に2000人規模大会を開く予定とのことです。

 しかし確実に『辺野古沖移設見直し』が動き出しました。辺野古で座り込み、またボーリング予定地の海中で体を張って頑張っているメンバーも疲れが見えてきましたが、もう一歩の辛抱です。 他人を頼りにするわけではありませんが、2月13日(日)からグリーンピースのメンバーがエンジン付きのゴムボート持参で参加しています。また3月に入って、春休みを利用して多くの本土の学生さん達が多く参加し、がっちりディフェンスをしています。

●娘の結婚披露宴を2月11日にしました。

 末娘が11月28日(日)、うふざと教会で結婚式を挙げました。少し遅くなりましたが、その披露宴を2月11日(金)にロワジールホテル沖縄で行いました。

 沖縄式の披露宴であまりスピーチはなしで、あとは歌と踊りの演芸大会(?)でした。

 私の方の親戚は本土からですのでそう多くなく、大半は新郎側の親戚(台湾からも含む)と、職場からでした。

 そんなことで私の方は「大交易ルネッサンス(中国航路開設)」というラジオ番組(10年も前になりますが、ラジオ沖縄から毎週1時間番組をレギュラーで3年間放送しました)の当時のメンバーをお呼びし、同窓会をした感じでした。また披露宴の司会も同ラジオ番組司会の屋良悦子さんをお願いしました。



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≪緊急連絡、学生募集開始します≫

‘05年1月28日の午後、文科省より「沖縄大学大学院・現代沖縄研究科(修士)」認可された旨、通達を受けました。

・日が迫っています。よろしく。

 これで正式に学生募集が可能となりました。出願期間が2月1日〜10日、そして試験日は2月19日と日が迫っています。

 地域経営と沖縄・東アジア地域研究の2専攻です。この分野にご興味のある学生さん、知人の方々に、PR、ご吹聴、ご連絡いただければ幸いです。

・社会人を受け入れやすくしています。

 本研究科は社会人の方々でも入学、受講がしやすいように平日の5限、6限(午後4時20分−5時50分、午後6時30分−8時)と土曜日に開講をします。ですから勤め先と交渉して週2回〜3回、早退させてもらい、あと土曜日を使えば通学が可能です。ぜひお勧めください。

 また受験科目も社会人は論文と口頭試問だけです(語学はありません)。

・今の沖縄の課題に答えます。

 研究科のパンフレットだけでは、どうも一般的で分かりにくいという声もあります。そこで以下、具体的にカリキュラム構成、内容などを私が担当する地域経営学専攻の地域産業コース(領域)を例にして示してみました。

 地域経営専攻の地域産業領域などはきわめて実務的な、そして今の沖縄の課題に答える履修内容(沖縄だからこそメジャーに勝てる)(PDF)となっています。ですから企業での課題をそっくり大学院に持ち込んで、ここで会社の仕事をすれば良いわけです。

その具体的なイメージを示すために履修モデル(PDF)として1年次、2年次の前期・後期の科目設定(講義と演習の関係)を示してみました。また修士論文・特定課題研究(ビジネス・モデル、事業計画など)の完成の流れ(PDF)などを示してみました。

 またさらに本研究科での講義内容や水準について、具体的に知りたいという方のために、一例として小生の担当する講義、演習の内容について示しておきました。

  ・経営学研究(PDF)

  ・沖縄振興・産業研究(PDF)

     ・ベンチャー・ビジネス起業研究(PDF)


・企業からの派遣の可能性、交渉されてみませんか。

 例えば勤務先の企業で株式公開(IPO)の予定があれば、IPOの準備(ノウハウ)を講義で受講し、修士論文として上場申請書類の「Uの部」、また「Tの部」(マザーズなどの振興企業市場用)を作成する。また起業の準備を受講し、資金調達用の書類と兼ねて修士論文として「事業計画」を書く、などです。皆さんの勤め方で、企業からの派遣生の可能性がないか、交渉されてみてはいかがでしょうか。


・暖かい沖縄で2年間ゆっくりされませんか。 

また本土の方で暖かい沖縄で、人生の中間休みとキャリアー(アップ)・プランを兼ねて2年間ゆっくり(?)されるのも良いかと存じます(ちなみに入学金12万円、授業料年間37万円、施設費10万円というのも魅力かと思います)。


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●1月22日『謹賀新年。本年もよろしく、お願いします』

少し遅い年賀のあいさつですが、年賀状を添付させていただきます。

沖縄では旧暦の正月(2月9日)をする所(とくに漁村)が結構あります。これに引っ掛けて毎年研究室の年末大掃除を旧正までにしようと引き延ばした上で、さたに今年(新暦)の年末に大掃除をすると言い訳をしています。そして結局、このところ年末の大掃除なしで過ごしています。

ということで、旧歴での年賀の挨拶ということでお許し下さい。

 また、二十正月といって、死者の正月を生者の正月より盛大にする所(八重山地域)もあります。

添付<’05年 年賀状>

● まだ、沖縄にもいろいろな知らないところがあります。「ジャネー洞」(ヤブチ洞穴遺跡)へ行ってきました。

● 12月15日の「クリスマス・メッセージに代えて」の中に一部修正があります。

● FTZからFTAへ、沖縄の体験から ―日本の構造改革を促すFAT戦略の必要性―

● 新学期から『沖縄風土計画論』を講義で開設します。

私は昨年の12月19日で早や(?)62歳です。定年まであと3年となりました。これまで沖縄で学ばさせてもらったことで、学生にあまり還元していないことを整理して伝えたいと思います。

 また、法経学部では「まちづくり・環境コース」が本格的に始まりますので新学年度より「沖縄風土計画論」を開講します。

次の資料は講義資料として整理したものですが、御紹介させていただきます。私も沖縄を対象にしてこんな分野も研究していたことがあります。前任地の大学では都市計画も教えていました。

また、アジア工科大学院(ATI、タイ)では、トロピカル・アークテクチャーという分野に興味を惹かれました。沖縄でもこのような研究分野が必要だと思います。文献リストを収集してきましたので、必要な方には提供します。

※この1カ月間、採用人事、来年度のカリキュラムの決定などでまったく時間がなく、というより気持ちにゆとりがなく、月に2回のホーム・ページ更新という御約束を守ることができず、申し訳ありませんでした。

これまでの本ホーム・ページは内部(学内、友人・知人、等)向きのものでしたが、多くの方の要望もあり、これからは一般の方、誰でも沖縄の経済、産業、企業を理解したい方向きに、沖縄理解の一助になるように工夫、編集していこうと思っています。

●05年1月17日(月)、新春講演会を企画しました。(PDF)
             講 師 おきなわ証券 代表取締役社長 高江洲昌和氏
             演 題 『直接金融の時代へ、その仕組みと活用法 』
                ― 小人数私募債、グリーンシートを中心に ―