○これは私がデザインしたマンションのファサード(外構部)です。

―「小石川の家」ならぬ「小石川のマンション」−


 私は建築にも興味があり、ここに紹介したマンションのファサードは私がデザインしたものです。実はこれは実家のマンションです。学部長を辞め時間ができたので3月下旬、久しぶりに上京でき、宿泊した時に撮ったものです。築20年と大分、古くなりました。

         

 実家は小石川(東京・文京区)の伝通院の近くで、私はここで育ち、結婚するまでここに住んでいました。今は春日(町)といっていますが、それまでは大門町と言っていました。

 場所柄(後述し、写真も添付しました)は、下町(町工場)と山の手の中間で、かつそれがパッチ状に入り混じっています。そして、このマンションは住居地の路地(沖縄ではスジグヮー)の中にあります。

< 路地の中に埋め込まれたように >

 そこで、このマンションがあまりにも目立たずに、路地の中に、住宅群の中にいわば埋め込まれたようにファサードをデザインしました。全体もそうですが、例えばベランダの棚をあえて木にし、それをコンクリートと同じ配色にしてみました。それが上掲の写真です。

 コンクリートと木というあまり他に例のない組み合わせなので設計・設工を請負った竹中組の担当者は大分、抵抗しました。しかし、そこは御設主様(?)親族の趣味ということで強引に押し切りました。

 私は街並みというか路地(裏)に溶け込んで、なかなかよかったと一人で悦に入っています。

< 路地裏が好き >

 その時、写真を撮ってきたので、ついでに実家近くをご案内しましょう。

 これが伝通院で、徳川家(母方)の菩提寺で戯曲で有名な吉田御殿の千姫(秀忠の子)の墓もあります。

 

実家の路地を出たところが安藤坂(写真)で、この安藤坂の路地の出口が旧・三井本家の大きなバルコニー付き西洋風建築の屋敷で、戦火で焼失し今は門だけ残されていますが、当時の壮大さが偲ばれます。そして、現在の文京区立第三中学校になっています。


 この三井の屋敷の焼け跡は本当に大きく、子供の頃の恰好の遊び場、冒険する場所でした。

 こんなことを書くと実家も何かお屋敷街のように思われますが、そうではなく大きな屋敷と屋敷の間に町屋と町工場が入り混じっている一角です。

 この安藤坂を下ると大曲で大日本、凸版印刷があります。そしてまた伝通院から坂を下ると(東大)小石川植物園で、そこに共同印刷があります。そしてこの大手印刷会社の周辺に、大小の印刷関係の町工場がひしめいています。いや正確にはひしめいていましたが、現在は多くの工場がマンションに建て替わりました。

 私は子供の頃から、このような環境で育ったので、ゴミゴミした人間味のある路地裏が好きです。沖縄ではスージグヮーといってよいと思いますが、以前、オキナワカルチャーアーカイブというものに沖縄のスージグヮーを解説したものをご紹介します。お時間のある時にご覧ください。

http://www.culture-archive.city.naha.okinawa.jp/html/b_contents/80017000.html

 私の実家の家業も印刷屋でしたが、同じようにマンションに建て替えたわけです。

 副題の「小石川のマンション」としたのは、近くに幸田露伴の家があり、その孫の青木玉さんが露伴が生きていた頃と、とその周辺の思い出をエッセーにした「小石川の家」をもじったものです。