○中国航路開設に関わった懐かしいメンバーが集合しました。

那覇・中国福州航路開設、いや前掲新聞(琉球新報特集‘99年1月31日)にもあるように、1901年(明治34年)迄は本航路があったので正確には再開ですが、私たちが開設を提案・主張し、さらに展開するために「沖縄・中国航路開設会議」(当時、平良沖縄通関社社長、私が顧問をしました)を1993年7月に発足させました(写真)。そして1994年に先ず第一港運が(中国船をチャーター)、翌年、大米興産(現・南西海運)が就航、そして現在まで継続しています。残念ながら第一港運は現在、本航路からは撤退しています。

 本航路開設の必要性、また積荷集積などの呼び掛けのために、ラジオ沖縄で週一回1時間の番組『大交易ルネッサンス』を3年ばかり続けました(写真)

 航路開設の仕掛人、また諸費用(ラジオ番組やさらには私達の夜毎の飲み代まで(?)のスポンサー役をしていただいた、当時(以下、当時)沖縄通関社長・平良さん、当初は積荷がほとんどなくて泉州から墓石を本船で運ぶようにしていただいた関ヶ原石材社長・緑間さん、対中国交渉を一手に引き受けていただき一緒に中国交渉をした沖縄工業連合会事務局長・桑江さん、また本航路の件では沖縄財界の調整のため、口説いてまわっていただいた国場組の副社長・国場(幸一郎)さん等々、本当に懐かしいメンバーでした。

 また本航路、その後の展開をバック・アップするために作った「沖縄中国経済交流協会」の会長に就任していただいたオリオンビール社長・金城さんなど故人になられた人々も思い出されます(写真)

 また、当時、家内も沖縄に移住した頃で、どこにも行く所がなくて(?)研究室に手伝いに来ていました。そこで研究室に上記の皆さんがよく顔を出されていたので、今回のパーティーに一緒に参加しましたが、とても懐かしかったようです。

 

 そして何よりも前述したラジオ番組を司会していた、ラジオ沖縄のベテラン・アナウンサー屋良さん(写真)に本パーティーの司会もしていただきましたので、盛り上がったパーティーになり、私も二次会も含めて飲み過ぎました。