沖縄県土地利用基本計画30年ぶりの集い

〈 青春時代に戻って楽しかった 〉

 本当に、30年ぶりにお会いした方もおられ、何か青春時代(?)に戻ったようで、10月16日(土)夜、皆さんと首里金城の「いろは庭」でははしゃいで、楽しい時を過ごしました。

 土地利用計画メンバーの当時の本土側6名、沖縄側6名でした。しかし、鬼籍に入った方もあり、自分の才を改めて認識させられました。

 皆さんには、何のことだかわからないと思いますので、もう少し事情をお話しましょう。私が、沖縄に関係し、今、住んでいる切っ掛けは、1972年(沖縄本土復帰の年)、当時、勤務していた財・政策科学研究所(以降、IPS)が沖縄県庁の「沖縄県土地利用基本計画」を受託し、このプロジェクトに参加したことに始まります。

沖縄県土地利用基本計画とは 〉(PDF)

沖縄県土地利用基本計画メンバーと集い
沖縄’04.10.16「いろは庭」にて

 本計画は、本土復帰に当って、振興計画の基礎となる土地利用(区分)、用途区分、線引き(当時、沖縄はまだ線引きもされていませんでした)のための計画立案でした。県庁は、本計画の本土での委託先を検討、探していました。

 当時、IPSの理事で東京工業大学の阿部統先生(上の集合写真に掲載)が、復帰前より沖縄にかかわり、社・沖縄経済開発研究所(松山、日産ビル)を中心に調査・研究を展開されていました。このようなことで、阿部先生が県から、本計画の受託先を依頼されていました。

 IPSの所長が、前・東京工業大学学長の大山義年(故人)だったこともあって、受託することになりました。

 本土側はIPS、沖縄側は沖縄経済開発研究所という分担で、研究がスタートしました。陣頭指揮をしたのは、両研究所の若手(30代の初め)ということで、沖縄は垣花将人(故人)、真榮城守定(同写真)、本土側は山田嗣(故人)それに私でした。

 また、県庁側は(土地利用)担当だった、松本當三(同写真)主任で、同氏が頑張って、調査費は1972、3年の2年間で1億円と当時(いや今での)、破格の金額で後述するような、新しい試みが可能となりました。またこの時の調査・研究、方法論の開発が、IPS、また個人的にも、後の環境アセスメト研究へと繋がっています。

 たまたま、10月16、17日に日本環境アセスメント学会が、沖縄大学で開催され、当時の研究メンバーも来沖するということで、この機会を利用して久しぶりに本土、沖縄側両方で集まろうということになりました。当日、前出以外、集合写真にもありますように、池田光男(当時・県庁企画室長)、喜久川宏(同・県庁企画部長)、伊波(高良)美智子(同・沖縄経済研究所・主任研究員)、伊藤勝、義村利秋(同・IPS・主任研究員)の諸氏が参集しました。

〈 画期的な計画論 ―潜在植生図とオーバレイ・マッピングー 〉

  自分で言うのもおこがましいですが、本計画は今から見ても画期的な計画論、手法ではないかと思っています。

 県全域の潜在植生図(宮脇昭・横浜国立大と共同研究開発、故人)を作成し、これをもとに「生きもの指標(造語)図」を基図にし、土地利用図、土地利用許容図をオーバレイ(マッピング)し保全分級図、土地利用許容図を作成しました。これに、その地域の経済条件、ソーシャル・ニーズを考慮して「土地利用計画(図)」を決めるというものです。

 海域についても、珊瑚礁(分布量に、開放、閉鎖型を組合わせる)を指標にして、海域保全分級、利用許容度を定めました。そして海域自身の利用のみならす、海域保全の視点から、陸上部の土地利用許容へのフィード・バックも考慮しました。この海域の部分は、増川重彦(IPS、主任研究員、同写真)氏の労作です。

当初、DESIGN WITH NATURE(PDF)のIAN L. McHARG流の透明のアクリル版(後に光学的な映像処理法を採用)で手作業でしましたが、組合せによっては狭い沖縄とは言え、莫大な量になりました。そこでこれも実用化としては恐らく日本で初めてだと思いますが、メッシュマップ・アナリシス(500m×500m、250m×250m)を当時、地理院研究開発部長の高崎義年(故人)と共同開発をして分析に使用しました。

本調査の結果は、その結論としての「計画編」がありますが、また、計画立案のための「基礎調査編」があります。この部分は県内外の各専門分野研究者約200名近い方々の協力を得ました。特に琉球大学側の対応、幹事をしていただいたのが、仲宗根勇先生(同写真)でした。沖縄と本土との本格的な共同研究としても、その起りではなかったかと思います。

後に、国土庁の「国土利用計画法」の施行の時も、計画図の凡例基準などにもかなり影響を与えました。『環境賞』なども受賞し、理論的にもそれなりに評価されたと思っています。

〈 時代、政権によって変わる研究の評価 〉

 屋良県政から、西銘県政に代わってからは、本計画は、開発にとって厳しい計画、レポートという専らの評価で、本計画は残念ながら、いわばお蔵入りしてあまり県計画に反映されなくなったのではないかと私は思っています。

例えば、本計画はすでに30年前に、赤色土流出(量)の危険度について、河川(東側8本、西側8本)流域ごとに予測しています。

 「沖縄県土地利用計画」が、陽の目を見て、活用されていれば、今のような環境問題が起きなかったのにと、残念です。すでに幾度か、地元新聞には書いたことがあります。

 これらの研究成果は、私の研究にありますので、御興味のある方はご覧、お貸ししますので、お申し出下さい。