【リージョナル・プロモーション研究活動】

 私が沖縄を初めて訪れたのは、本土復帰した1972年で混乱していましたが、大変活気がある時代でした。それは県の委嘱「沖縄県土地利用基本計画」(主査・阿部統、当時・東工大)の研究・調査が目的でした。その後200回以上も沖縄を訪れ、1995年より沖縄大学へ奉職し、沖縄に家内と猫と一緒に移住しました。その後、息子や娘も沖縄に移住して来ることになりました。

<私のスタンス、アクション・リサーチ>

 さて私の研究に対するスタンスは「調査・研究は知的領域と現実社会とが相互に刺激的な緊張関係を保ち、それは実践的な問題解決の場に展開されてこそ切磋琢磨する」です。その結果、生まれたのが「アクション・リサーチ」という研究方法です。それは研究の成果を政策提案として、社会に働きかけ、さらに研究をも深めようとするものです。もしこの研究方法が評価されるとすれば、現実社会の課題に対して適切な位置づけと有効性も持ちうる限りにおいてのみ客観的に評価されると思うし、そう希望している。

<アクション・リサーチの実践>

(1)島おこし研究交流会(1978−1980年)

本土で地域振興を成功させている人々と沖縄の人達の研究交流を通して、沖縄の地場産業の振興を図ろうというものです。清成忠男(現・法政大学総長)先生、故・古田嗣延(元・沖縄協会常務理事)氏が中心となり主催し、私もそれに参加した。この成果は西表島のエコ・ツーリズム、石垣の木工芸、織物として現在も受け継がれている。その後、これが大分県の一村一品運動の原型にもなったのである。

(2)与那国開港運動(1987−1990年)

国境の与那国で開港(外国との貿易可能)することにより、台湾・中国より土木、建築資材、日常品を直接輸入し、物価の3割引き下げに成功した。私は与那国貿易公社(第3セクター)の顧問を勤め、開港の企画、実務(特に本土の大蔵省・関税局との交渉)を担当した。

(3)沖縄・中国航路(海・空)開設運動(1993―1995年)

ラジオ番組(ラジオ沖縄「大交易ルネッサンス」)をいわばビジネス・コーディネーターの手段、場として活用し、中国・厦門−沖縄・那覇間のコンテナー船定期航路(現在、月3便)をまたカーゴ航空チャーター便を就航させた。これによって沖縄の物価引き下げ、交易型ビジネス誕生に成功した。またこれが現在の上海定期航空路線へと結びついた。私は(社)沖縄中国経済交流教会の顧問を勤め、調査、政策提案と中国現地との交渉を行った。

(4)沖縄ベンチャービジネスの提案と普及・実践活動

グローバリゼーションの下、日本の辺境の沖縄が国境になるという100年に1度のチャンスを迎えている。このチャンスを生かすべく沖縄型ベンチャー・ビジネスの理論研究、提案との普及活動を行なっている。そのために沖縄地区放送公開テレビ講座「沖縄新産業論13回、OTVにて放映」、NHK沖縄放送局・太陽カンカンにて「吉川教授のやわらか経済学」の企画、制作、出演をした。また担当講座を1996年より「沖大ベンチャー公開講座」としてU部(夜間)講義を一般公開し、毎年40〜50名の社会人の参加がある。この受講生の中には、実際にベンチャー・ビジネスを立ち上げた方もおられ、その支援活動もしている。そして役員をしていた会社が和議となるなど苦い、しかしなかなか得難い経験もすることになった。

そして今(02年〜)、挑戦しているのは、この沖縄のベンチャー・ビジネスの成功のケースを「JICA-Net」を利用して、浦添の「沖縄国際センター」より、フィリピン、タイ、インドネシアに授業を配信している。それは亜熱帯、島嶼など沖縄とこれらの国々の共通の環境、隣接しているなどを活用し協同のプロジェクトの可能性を探っている。これをまとめた本の出版も計画している。