《筑波大学時代、1978〜1994年》 |
同大学院環境科学研究科で「環境アセスメント」、同社会工学類(学部)で「環境計画」「都市・地域計画演習」等の講座を担当し、それぞれの講座の教育と研究を行う。 |
〈筑波前半、1978年〜1985年〉(文化生態的アプローチの必要性を実感、体験して) |
地域研究、地域振興において自然環境、エコロジーのみならず文化、価値観等も加えた分析と計画論の必要性を、沖縄及び海外研究、開発プロジェクトでの失敗体験の下で実感する。そこで文化生態学的アプローチを提案し、これによる研究調査を展開。 この文化生態学的アプローチによる調査で離島(主として与那国島)は、政策科学研究所から筑波大学へ移る時期に行った。 都市(主として那覇市)についての調査は、那覇市、壺屋での学生との協同の調査合宿を1982年の夏から1989年迄、毎年行った。 |
「代表する業績・活動」 ●「与那国―島の人類生態学」三省堂1984年。 ●「那覇の空間構造―沖縄らしさを求めて」沖縄タイムス、1989年(タイムス出版文化賞)。 |
〈筑波後半、1986年〜1994年〉(アクション・リサーチ、研究のみの空しさから) |
私のスタンスは、研究は実践的問題解決の場に展開されてこそ、知的領域と現実社会とが相互に刺激的な緊張関係を保つ事ができるというものである。しかし沖縄研究、東南アジア研究プロジェクト等にかかわって、厳しい現実問題解決に対して、研究のみの空しさを感じアクション・リサーチを提案し、展開した。 これは単に調査・研究のための研究ではなく、研究者自らもシンポジウムや政策実施のキャンペーンなど政策支援の仕掛け人となってアクション、実践とのフィードバックを可能とし、より大きな波及効果を呼び起こそうとするものである。 また、アクションに対してその社会にリアクション(反応)が生ずるが、このリアクションを通して、その社会をよりダイナミックな構造として、具体的に、場合によっては個別(人)特定化して、特性、構造を理解できるという研究上のメリットも大きい。 |
「代表する業績・活動」 |